イベントレポート

[ディスカッション]

橋本
ありがとうございました。おふたりとも家の中に閉じこもって住むのではなく、そこから広がった環境の中に住むことの素晴らしさについてお話していただいたように思います。それぞれのお話を聞いてどのように思われたか、まずは聞いてみたいと思います。最初に西沢さん、教え子でもある辻さんの最近の活動全般についていかがでしょうか。
西沢
やはり自分の場所を決めたというのはうまい、うまいというかうらやましいですよね。拠点を決めて、場所を限定するということが、仕事の限界になるともったいないですが、そうならなければ、すごい可能性になると思います。東京でやっていてたまに虚しく感じるのは、場所から建築を考え始めるというやり方じゃなくても、何か考えられてしまうということです。たとえば機能だけから巨大建築をつくれてしまうという錯覚があって、むしろ当たり前になってくるのです。建築にとって場所は重要で、だから場所を決められることは羨ましいし、建築の力になってくると思います。
橋本
拠点を選択することによって生じる限界とはどういうことでしょう?
西沢
それほどの限界ではないと思うけど、ひとつは、他の地域に出かけていく回数が減りがちということです。価値観の多様性は重要なことで、他の地域の文化、文化のぶつかり合いを肌で感じるかどうかは大きなことです。東京はたいした場所ではないけど、いろんな地域の人がやってくる場所で、それが東京の数少ないよさです。でもそのことが限界なのかは、一概に言えないと思います。
橋本
辻さんは西沢さんの作品は学生時代からよくご存知だと思いますが、今日の西沢さんのプレゼンを通して改めて一言いただきたいのと、西沢さんから指摘があった、その場所から考えることのメリットについてお話いただけますか。
とにかくもう、建築へのエネルギーがすごいですね。建築や住宅について話したいことが山程あるというか。最初のローマの家や民家の話でも、時間的にも空間的にも自分からかなり遠くにある家も自分の家になったかのようにその素晴らしさを語っておられて、そういうところが学生の頃からすごいなと思っていました。とにかく、なんでも建築になるし、なんでも面白くなるんだということを課題を見てもらいながら学んだ気がします。ただ、その瞬間の言葉は本当に面白いんですが、それを持ち帰ってゆっくり考えると、やっぱり難しいなということを感じるんです。西沢さんの言葉がどれくらい大きなことを捉えているかが、その瞬間には分からないまま感動していたということが続いていて、今日もそういう気持ちでいます。
それと、最後の里山のプロジェクトは、少し印象が違ったなと率直に思っています。まだ進行中のプロジェクトということもありますが、家のかたちをしているし、高齢者の話もありましたが、創造的というよりも、生活に根ざした住み手を想定されていて、新鮮に感じました。
建築における歴史、時代、時間
橋本
《里山住宅プロジェクト(仮)》では民家から学ぶものが多くなっているとおっしゃいましたが、もともと歴史的な建築から学ぶことに西沢さんは積極的ですよね。一方で、自分たちが生きる現代を捉えるためには、日常的に身の回りにあるものの観察も大事だと思います。その両者を重ね合わせて話をされることが多いと思いますが、最後のプロジェクトでは特に現代的な問題を語られていたように思います。西沢さんは現代の住宅を改めて見直したときに思うことはありますか?
西沢
現代の住宅というと、戦後日本の、核家族用の戸建住宅とか、タワーマンションとかのことでしょうか。それは、別の時代の人間がみたら、ずいぶん変なところに住んでるなと彼らは思うのでしょうね(笑)。駅があって通勤電車があって、大都市があって、という全体像を見せれば、ある程度は理解できるのでしょう。しかし住宅の奇妙さよりも、街の巨大さ、ある種の「爆発」というものは、別の時代からみると相当のインパクトを感じるのではないかと思います。住まいから都心まで毎日移動、1日の移動距離100kmはざらという、身体感覚を超えた空間移動をする時代です。一方でフィレンツェの歴史地区は歩いて15 分くらいの大きさで、自分の人生が徒歩15 分以内に収まっていて、生涯の移動範囲と街の大きさがだいたい一致しているわけです。きわめてリアルで地に足がついた空間的生活というのでしょうか。そちらの時代のほうが歴史的には長くて、現代のように100km 先まで毎日移動というような、ものすごい飛距離で生きるのは人類にとって新体験で、そういう人間の生き方みたいなものは住宅1戸というよりも、都心と住宅地をセットで見て感じることではないでしょうか。
橋本
住宅には変化を感じますか?
西沢
変化というか、建築の時空間という意味で僕が興味あるのは、建築は長寿命で、人間の生よりもはるかに長く建ち続けるということです。社会は変わり、家族は変わり、機能は変わっても、建築は古いまま残る。ヨーロッパの街のように、古い建物を、機能を変えて使い続けるような例もあります。建築が時空間を生きるということは、ひとつはやはり、建築の普遍性、形式性というものが関係していると思います。ポルティコとか、クーポラというような形式性、タイポロジーというものがヨーロッパにありますが、クーポラもポルティコも、形の個性に関する名前で、機能は関係ありません。その建築の機能がなんであろうが、集会場に使われようが教会に使われようが、バジリカはバジリカと呼ばれるのです。時代が変われば社会が変わり、機能が変わります。しかし建築の形式は、そうそう変えられないので、その変わらない部分、時代を超える普遍的な部分に名前をつけているのだと思います。
橋本
それは住宅にどれだけの長さの時間を見るかに関係しているのですか?
西沢
建築の形式性といういわば動かない、普遍的なものを建築はもっているということです。他方で、建築を道具として、「使えるもの」として考えたときには、機能は大きな問題になります。建築の形式性というのは、日本でいえば縁側とか、雁木とか、そういうものは、誰でもどの地域でも便利に使えるものではなくて、使う人間の側にある技術がないと使えないと思うのです。カンナのような道具は、それを使う技術体系が人間の側にあることで初めてカンナたり得るので、使えない外国人からしたら道具ではなく、ただの物体です。建築も道具的側面を考えていくと、建築はそれだけで存在するのではなくて、人間の側にそれを使う文化がないと、使いようがないということもあると思います。
形式性に宿る文化性
橋本
辻さんは最近の住宅のプロジェクトで家族の変化を前提にプランを考えていましたよね。そういう時間を孕んだ設計について。それから、西沢さんがおっしゃった、形式性は実は大きい文化性の中に位置付いているのだという話についても辻さんの意見をうかがえればと思います。
2年ほど設計していた二世帯住宅なのですが、最終的にはストップしてしまった《広沢の雁行》というプロジェクトです(fig.18)。クライアントは3.5世帯くらいで、中心となるのは2世帯の上に、ひいおばあちゃんと孫がいる大きな家族でした。延床面積が80坪くらいあります。旅館として使われていた住宅の建て替えで、そこの建具が素晴らしいものだったので、住宅の間仕切りにその建具を転用して、その受け皿となる垂壁と構造壁が外周を走っている雁行型の住宅で、ボリューム配置によって閉じられた庭と開かれた庭をつくりながら敷地の傾斜を解消しています。このプロジェクトで考えたことは、ほぼ4世帯の家族がこれからどうなっていくかということです。自分自身、浜松で親元を離れ市街地で暮らしていますが、実家は典型的な郊外にあって、3人兄弟で4LDKで育ちました。今は兄弟みんな実家を出ているので部屋はそれぞれ物置になっています。かつ、父の祖父母の家と、母の祖父母の家がもうひとつずつある。僕は長男なので、それらを引き継がなければいけないけれど、それぞれ浜松の中で15kmくらい離れているので、それを同時に受け取ったときにどう使えばいいのかということが、まったくわからないわけです。こうした現実に、少しでも寄り添えるようなものを住宅として設計したいと思っていました。その寄り添い方として、住宅以外のプログラムも受け入れられるようなものをつくろうとしていました。
文化を孕む形式性を使うという話は、僕たちも大事にしているところです。そのときに想定している文化を育んだ時間は、僕たちは戦後に向かっているような気がしています。共同ビルという形式も、浜松の街自体も戦後に一気にできたようなものですし、自分たちが直接プロジェクトで参照するのは、戦後の、いちばん日本が盛り上がっていた時代の「余り」みたいなものだと思うんです。それに向き合って、少しでもその価値を考えるためにこうしたプロジェクトの進め方をしているのかもしれません。
あとは、地域にある程度とどまってそこで建築を考えると、文化に対する丁寧さが得られるということがあります。戦後に向かうということもそうかもしれないのですが、丁寧に、必要以上にその場所について考えられる環境があると思っています。そこからどのような建築が見出せるかに興味があります。

Fig.18:《広沢の雁行》
橋本
古い建具は、ある種の形式性と文化性をもったものとして受け止めて再利用したということですか。
そうですね。もちろん日本人は使い方も知っているし、その建具に対する愛着もありました。垂壁が1,800mmで降りてきているので、どんな建具でも交換可能ですし、計画の時点ですでに古い建具も新しい建具も混ざっていました。同時に尺貫法の寸法体系は、日本で設計する上では使えるなら使ったほうがいい資源だと感じています。それは過去の先人たちがつくったものの「余り」に触れられるものだと思います。
橋本
すでに戦後70年経ちますから、私たちが歴史を考えるときは戦後もその範疇に入ってくるだろうと思います。西沢さんにもうかがいたいのですが、先ほどの話は歴史の尺度としては古代から現代までと非常に長い。もう少し私たちの日常に近い、たとえば私たちが生まれた時代に存在したもののなかにも、形式性を超えて文化を見出せるようなものは発見できますか。
西沢
失いつつあるものは色いろいろあると思いますが、たとえば自動車社会になって、あと個人主義社会になってきて、路地がなくなってきましたが、いずれまた近い未来に、路地が必要な時代になった場合、たとえば車社会じゃなくなったときに、僕らが長年使い続けてきた路地というものの使い方を、未来の人間が忘れているのかどうか。
もともと道は、交通手段でもあるけれど、生活空間でもあったわけです。子供が遊んだり、大人が焚き火したり、多目的空間だったのです。今もよく覚えているのですが、戦前の住宅地の写真をみると、道路が土で、庭も土で、区別がない感じがするのです。なんとなくみんな大らかに、庭も道路もつながっていたのですが、道路がアスファルトになると、なにか庭とは全然違う空間に見えちゃうんです。そこに座り込んだり、水浴びしたりすると犯罪に見えるような空間で、道というものが移動空間、単目的空間になった。この前インドに行ったら、道路で地べたに座ってものを広げて売って、牛の集団が集まって餌を食べていたり、驚くべき道でした。驚いたけど、でも今考えてみると、日本もちょっと前はああいう道だった気がします。ものすごく無秩序な空間なのですが、むしろそういう自由な場だからこそ、自発的なルールも生まれたし、人間の生命力溢れる生活感もあったのかなという気もします。
橋本
そのような西沢さんが見てきたものが、住まい方における界隈性を考えるということにつながっていますか。
西沢
人間は家に住むし、しかし街にも住むと思うのです。また、通りに住むという言い方もあります。そういう意味でも、界隈や路地、家、環境というのは、一体のものなのではないかと思います。
[質問]
藤原徹平
西沢さんの話はプロジェクトごとに全然違う状況なのに、西沢さんが語ると同じような情熱と建築的意義がその瞬間現れてくるような気がしました。西沢さんの建築の説明の仕方を聞いていていつも感じるのは、建築は人類学的な行為の中でリーダーシップを持ち得るということです。たとえば軒の話も、西沢さんにとって軒は大発見なのだけど、普通の人にとっては軒は普通にあるものだから、軒を改めて発見しないと軒のよさは使えないということでもある。軒が当たり前だと思って軒を出していると軒のよさは使えない。建築という言語の中で、考えることの面白さを西沢さんからいつも感じます。 質問としては、初期の作品から最新の《寺崎邸》へと至りながら、西沢さんの住宅の興味や試行錯誤が変わっていく過程で、西沢さんはかなり大胆にその立ち位置を変えていると思いますが、そのことを自身でどのように面白がったり、苦しんだりしているのかについてお聞きしたい。
西沢
《森山邸》の前に《船橋アパートメント》という四角い建物をつくりました。それは自分なりに頑張ったプロジェクトだったのですが、外形が都市計画で決められていたこともあり、提案がどこかインテリア的というのでしょうか、閉鎖的なものになってしまいました。内向的で、ダイナミックなものにならなかった。建築全体が大きなボリュームになってしまって、中でいろんなアイデアを考えても、全部箱の室内の出来事になってしまって、街や通りとは無縁の密室になってしまって、その建築の枠組みというか、閉じた殻を打破できない自分の限界というものを強く感じていました。次の《森山邸》では建築がバラバラになるのですが、あれは今思えば、殻を破りたかったのかなあ、うまく創作できない自分への怒りみたいなものが、建築をバラバラにしてしまったのかなあとも思います。 建築をつくらねばならない場面で、建築を壊したいと思うというのは、ある意味でおかしいと思うのですが、でもやはり、建築をつくるということは、それを乗り越えていくことで、創造と破壊は同じことだと思うのです。
自分がやった仕事と次の仕事との関係性・連続性は、多くの建築家が考えていることだと思います。建築家は仕事を依頼されて初めて建築を考えることができるということで、一件一件やっていく。今年は住宅がきたので住宅を考える、来年は劇場、再来年は工場、というように、それらは脈絡が全然ないわけです。そういうことを延々とやっている僕たち建築家は、自分がつくる建築群がぜんぶ脈絡がないということで本当によいのか、自分のやりたいことは何なのかと、それは建築家であれば誰でも自問することです。建築設計は請負業だからこそ、自分にとっての問題は何かということが、自分を支える大きな柱になる。 ル・コルビュジエが素晴らしいのは、建築ひとつひとつの素晴らしさはもちろんのこと、彼が歩んだ歩み全体の素晴らしさがあると思います。初期のピューリズムの建築、透明で抽象的な建築から始まって、建築が徐々に野蛮になっていくその過程、ガラスやサッシュ、塗装、いろんなものをどんどん剥がしていって、建築がどんどん原始人みたいになってゆく、自由に向かっていくその足跡、その精神は、まっすぐにつながっていて、感動的なものです。建築家はいろんな仕事を通して、自分の人生をかけて挑む問題を持てるのかということは、大きなことだと思います。いろんな仕事を脈絡なくやるような立場だからこそ、そう思うのだと思います。
藤原
辻さんへの感想としては、僕は建具のプロジェクト《広沢の雁行》は失敗するんじゃないかと思っていました。403の建築におけるジャンル不定の面白さは、共同性と関係があると思います。だから建具で共同性を語ろうとするのではなくて、浜松から離れたところに2世帯で住むことの共同性が見つからないと、建てられないのではないかと感じていました。共同的な家族のような存在の使い方がマナーとなっている場所から考える建築です。それは西沢さんの建築にはないものでもあるなと思う。建築のリーダーシップというよりは、住んでいる人の態度だからです。逆に言うと、403は建築的なリーダーシップから建築を考えることはあるのでしょうか。403の設計の態度として、「建築的な建築」のエレメントから建築の歴史を探っていくことはあるのかどうかお聞きしたい。
共同性が見つかったら建てられるのかというとそうではなくて、建築的なリーダーシップがあれば建つかというとそうでもなく、両者のバランスは常にプロジェクトに寄るはずです。
ひとつ言えるのは、共同性を帯びた人のつながりも、建築的な建築も、僕は似たようなものとして捉えているということです。どういうことかというと、両方とも自分に学びを与えてくれる対象で、どこまで掘っても学べる量が尽きないものだということです。人付き合いもそうですし、建築もそう。セルフビルドをやって職人さんにお願いして分離発注をして報酬が増えていってというステップを踏めば踏むほど、建築の偉大さが膨れ上がって、どこまで行っても届かない。人付き合いに関しても、知れば知るほど共同性というものが偉大なものに感じられていく。自分ではコントロールできない圧倒的な偉大さを感じるわけです。ただ同時に、自分が学んでばかりでよいのかという不安もあって、どこかでその偉大さと向き合って、コントロールとは言わないまでも自分がどうその偉大さに影響を与えることができるのか、それを考えていきたいと思っています。
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