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建築家インタビュー
吉村靖孝
吉村靖孝/よしむら やすたか
吉村靖孝建築設計事務所
1972年 愛知県出身
オランダへ
――大学院を出られた後、オランダのMVRDV(*1)の事務所に行かれますが、なぜMVRDVを選ばれたのですか。
*1 レム・コールハースの強い影響のもと活動を始めたオランダの建築家集団で、1991年にヴィニー・マース、ヤーコブ・ファン・レイス、ナタリー・デ・フリースにより結成された。ロッテルダムを本拠地とする。
吉村
大学院の時、古谷研究室でハウジングコミュニティ財団の助成金を得て、オランダへ調査旅行に行ったんです。それは高密度都市居住に関する研究で、人口密度の高いヨーロッパの大都市がどのように魅力的な場所をつくりだしているかという実態を調査するため、いくつかの都市を回りました。その中のひとつがアムステルダムで、当時ベルラーへ・インスティテュートに留学していた古谷研の先輩に、見るべき建物がないか聞いたんです。そしたら、その頃まだ一部は工事中だった、MVRDVの最初期の建物をいくつか紹介してくれて、それを実際に見て「これだ!」と思ったんですね。
――当時はどんなものができていたんですか。
吉村
VPRO(*2)は周辺一帯が工事現場のような状態で、WoZoCo's(*3)も一部仮設の囲いが残っていましたね。MVRDVのデザインのポリシーは高密度と多様性ですから、われわれの研究対象とも通じる部分があります。彼らのところに行けば、面白い解決法が学べるんじゃないかと思って文化庁の研修員となるための試験を受け、その後1999年にオランダに渡りました。
*2  MVRDV設計による、テレビやラジオ放送を手がける企業の社屋(オランダ・ヒルフェルスム、1997)。斜路や段差のあるフロア、モニュメンタルな階段などよる内部の「地理的編成」が特徴的。
*3 MVRDV設計による老人用の集合住宅(オランダ・アムステルダム、1997)。廊下の外側に11.3mも突き出た住宅ユニットが特徴的。
――MVRDVの事務所では何を担当されましたか。
吉村
在籍期間は2年と短くオランダでの現場の担当はありません。1年目は海外のコンペや企画・基本設計、展覧会などが中心です。彼らの場合、実施設計は外部に委託する割合が高いので、事務所の大半はそういう関わり方になるのですが。2年目になって、まつだい農舞台 (*4)の設計がはじまり、それを担当することになりました。文化庁の研修期間が終わる頃、残るか帰るか選択しなければならない状況になったのですが、ちょうど農舞台の現場がはじまる頃だったので、僕はそのまま日本に帰国して、現場にも通いました。オランダには2年いましたが、帰ってからまた2年ぐらいは彼らをサポートしてました。
*4 正式名称は、まつだい雪国農耕文化村センター。MVRDVの日本での初めての作品(2003)で、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」では、イベントのメインステージとなる。
プレゼンに見るオランダと日本の違い
――MVRDVの事務所で2年やられて、日本とオランダのいちばんのアプローチの違いというのはどういうところにあると思われますか。たとえばあちらではプロジェクトごとに本をつくったりしますね。
吉村
あの本のつくり方がかなり特殊で、レイアウトという概念がない。1頁にひとつの情報しかない紙芝居のような本です。1頁にワンセンテンスだけとか、パースが1枚だけとか、そういうものの繰り返しなんですね。
――とてもつくりがざっくりしていますよね。
吉村
オランダ人は説得され好きだなぁと思いました。1頁に1メッセージで順を追ったストーリーを聞くのがオランダ人の感性とすごいマッチするみたいで、案としては無茶なものでも、プレゼンテーションのときにそういうストーリーで納得させることができればそのまま通ってしまったりする。日本では、あまりストレートにストーリーを組み立てすぎると逆に疑念を抱かれてしまったりしますが。
――説明がきれいすぎておかしいぞと。
吉村
そう、なんか怪しいぞという感覚を抱くところがありますね。でもオランダではああいうやり方が合っている。建築家は社長や市長など決裁権のある人物にいきなり会える確率は低いので、どうしても中間的な人たちを相手にプレゼンすることになる。社長にプレゼンするのは部下なんです。だから資料は、彼らがボスにうまくプレゼンできる体裁になっていなければならない。次のページをめくらないと次の情報が出てこないというのは、誰でも再現可能なプレゼンテーションの方法になっているんです。それはそれで、日本でも考えなければならないポイントだと思いますが、反面日本ではなかなかそういったシンプルすぎる話の筋が通りにくいわけで、結局何度でも自分が出かけていって自分でプレゼンテーションをすることになります。日本では、考える過程をその場でライブで共有しないとうまくいかないところもあるので、大きな図面を広げて一緒に見ながら考えてもらうのが良いように今は思っています。
――オランダのやり方では、物事の多次元性あるいは多層性みたいなものが捨象されてしまうわけですね。
吉村
そうですね。その辺を違いとしてはいちばん感じましたね。
新しい都市の語り方
――MVRDVで得たこと、刺激を受けたことはどういうところでしょう?
吉村
都市を語ることですね。日本では、もう草の根の「まちづくり」しか残されていないという感覚が染みついてしまって、建築家が都市計画と関係しているという感覚が希薄になっています。イベントを仕掛けたりゴミ箱やベンチの設置からアプローチすることもそれはそれで重要だと思いますが、百年後二百年後に人間がどういう都市に暮らしているのかというヴィジョンを示す必要があると思うんですね。実現できるかどうかは別として、そういうことを語ろうとする彼らの姿勢には大きく刺激を受けました。
――根本からつくり直す場合に、「まちづくり」とは時間的なスパンとスケールが変わってきますが、具体的にはどういうふうにアプローチが変わってくるんでしょうか。
吉村
実際に道路を引くところから考えられるのは干拓地や牧草地のようなところだけになってしまいますが、彼らは建築や都市計画の領域を広げていくことで都市部の生活に関わろうとしています。たとえば「ピッグシティ」といって、養豚場を超高層化するというプロジェクトがありました。当時オランダでは豚の口蹄疫がはやっていたんですが、口蹄疫をなくすためには豚1頭あたりの飼育面積を増やす必要がある。オランダは1600万頭の豚を飼育する国ですから、今の頭数を維持すると国土の8割が養豚場に占拠されてしまう。で、重ねて超高層化することによって人間用の土地を確保しながら、1頭あたりの面積も増えるし、輸送距離がへればストレスの軽減にもなって、今より豚肉の品質は向上する。これは都市計画と建築の中間のようなプロジェクトだと言えます。都市の残されたスペースを探すというよりは、都市と呼んでいるもの自体を再定義するような感じ。誰に頼まれるでもなくそういった思考実験に没頭する彼らには感銘を受けました。
ミニマルだけではない日本の美学
――独立前には建築以外にどういったことに関心をもたれていたんでしょうか。たとえばアートとか音楽については……。
吉村
無趣味なんですよ(笑)。中高時代はずっとバンドでギターを弾いてましたが、建築をやりはじめて自然にほかのことが手につかなくなってしまった。最近これではまずいと思って、いろいろ考えた末、写真を趣味にしました。といっても撮影対象は建築なので、趣味なのか仕事なのかよくわからない状態ですが。というか、それぐらいハードルを低くしないと続かないだろうと思って。今のところ自分が設計したものしか撮りませんが、ご要望があれば出かけていって撮りますよ(笑)。
――よく言われると思うんですが、吉村さんの建築ってポップな印象がありますが、そのポップ性というのはどのあたりから来てるんでしょう? たとえば、ポップアートみたいなものに興味は……。
吉村
好きですけど、ちゃんとしたフォロワーではありません。でも、海外で高い評価を受ける日本の建築が、ミニマリズムの文脈においてだけだとするとがっかりですから、あまり安易にそこに接近しないよう意識しています。僕らはハイエンドの高級品に囲まれているだけでは生きていけませんから、土産物的ないかがわしさも分け隔て無く楽しみたい。愛すべきダメなモノたちに惹かれますね。
――具体的にはどういうものですか。
吉村
んー。マンガとかアニメとか、サブカル的なものは海外でも評価が高いですよね。建築にもそういう評価軸の振れ幅があっていいはずですが、現状ではなかなかそうなっていない。先日建築家の青木淳さんと対談させてもらって、そこで抽象性にも二種類あるという話がでてきました。見た目が抽象的か、コンセプトが抽象的か。そう整理すると、僕のアプローチは後者で、見た目は抽象度が足りない。でもそれが楽しさを感じられる要因になっていると思います。
――ミニマル系のものは楽しいと感じさせるものがほとんどありませんが、吉村さんの建築はポップで、楽しい印象があり、こういうあり方もあるんだなと思わせますね。
吉村
あんまり説教臭くならずにそういうことができるといいですね。
「環世界」と建築
――ところで、以前、ある出版社の企画でいろんなジャンルの本について語られていましたが、取りあげられている本がかなり幅広いですね。そのなかで面白いと思ったもののひとつが生物学者のユクスキュルの『生物から見た世界』という本ですが、あれはいつぐらいに読まれたのですか。
吉村
2006年くらいじゃないですかね。
――どの生物もそれぞれ限定された知覚を持ってそれによってそれぞれの世界を知覚している。だからわれわれ人間が知覚しているのは世界そのものではない。ダニであるならばダニの限定された知覚によって知覚される世界があって、それがユクスキュルのいう「環世界」ということですが、そのあたりの考え方に影響を受けている部分はありますか。
吉村
建築を考える時に、すべての課題に対して等しく正しく解答を与えることはできないということを理解しないといけない。端的に言うとそういうことかなと思います。知覚すべき対象を絞ってしまった方が建築としては面白いものになるという感覚がある。自然とか、環境そのものを生み出すと考えると手も足も出なくなってしまうものが、環世界をつくっていると意識するだけでスイスイとドライブしはじめる。これは僕の設計のアンチョコみたいなものです。建築をフィルターとして捉え直す。知覚を促し同時に限定するための装置だと考えています。
――そのフィルターというのは、ユクスキュルが言っている「トーン」という概念と近いんでしょうか。
吉村
そうですね。建築家はトーンを調整する役割を担っていると思います。
2010年12月24日、吉村靖孝建築設計事務所にて収録。次回の【3】に続く
Villa VPRO, 1997
設計=MVRDV
写真撮影=Rob 't Hart
WoZoCo's, 1997
設計=MVRDV
写真撮影=Rob 't Hart
まつだい農舞台, 2003
設計=MVRDV
写真撮影=Rob 't Hart
プロジェクトごとにつくられるMVRDVの本の例
写真提供=吉村靖孝建築設計事務所
ピッグシティ, 2000-2001
設計・画像提供=MVRDV
ピッグシティ(バルコニー部分), 2000-2001
設計・画像提供=MVRDV
ポップな印象を与える例
中川政七商店新社屋, 2010
設計・写真提供=吉村靖孝建築設計事務所
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