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建築家インタビュー
乾久美子
乾久美子/いぬい くみこ
乾久美子建築設計事務所
1969年 大阪府出身
倉方俊輔/くらかたしゅんすけ
建築史家・大阪市立大学大学院
工学研究科准教授
1971年 東京都出身
倉方
延岡駅周辺整備プロポーザルコンペの背景に市の方の積極的な関わりがあったことがお話を伺って分かってきましたが、こうした形はやはり珍しいですよね。
珍しい。珍しいというか、こういう仕組み自体が初めてのことのようですよね。そもそもおかしいのが、市の中の担当部署が、商業観光課なんですよね。都市計画課でも土木課でもなくて。普段、「延岡名物のチキン南蛮おいしいですよ!」などと言っている部署の方々がやっているんですよ。いい意味でおかしい。
商業観光課だからか、市外の他者の視点から考えることのできる人たちの集まりになっていて、市のことを客観的に考えているんですよね。私は彼らと話し合っていて意識のズレを感じないですし、一緒にやっていてとても面白いです。
倉方
それで一つ思い出したことがあって、昨年から北九州市でもいろいろと、小倉の中心市街地の活性化に関する具体的な動きがあります。地元でまちづくりに関わっていらっしゃる方、アフタヌーンソサエティの清水義次さんや九州工業大学准教授の徳田光弘さん、私なんかが委員会に加わったり、Studio-Lの山崎亮さんに入っていただいてワークショップを行ったりしているんですが、中心になっているのは北九州市の産業経済局新産業振興部なんですね。そのいきさつを伺って、なるほどと思いました。北九州は成り立ちとしては主に工業都市なので、少し前までは工場を誘致してくるのがメインの仕事だった。でも、現在はオートメーション化が進んで、規模の割には大して雇用は増えない。しかも、今は人が雇用されるような工場や産業が来るためには、イメージも含めた街の暮らしやすさがキーになってくるわけですね。例えば、異動しても家族に反対されないというような。福岡はいいんだけれど、北九州だとイメージ悪いから家族は付いてこないということでは、会社もそこに拠点を置きづらいわけです。そういうことも含めて家族、とりわけ奥さんを味方につけてはじめて、雇用も産業も増えてくるということをおっしゃっていました。本来的には都市計画の部署がそうした全体的な暮らしやすさを考えるべきなのかもしれませんが、具体的な産業振興に関わっておられる方のほうが、そうした街全体のあり方に気づくというのが興味深い。
なるほど。面白いですね。でも、そういうことですね。奥さんの視点を取り込むのは、とても大事だと思います。
倉方
そうした目線に達しているところは、全国でも結構あると思います、全く気づいていないところもあるでしょうけど。それにしても、地方の役所には優秀で面白い人がいますよね。この人、市の人なんだっていうような。地方だからとか、役所だからとか、そんな風にとらえていてはダメだなと反省します。
そうそう。優秀な方がいらっしゃいますよね。
倉方
変な話、地方だと一番の就職先が役所ですよね。東京だと優秀な人が民間にいることが多くて、正直、役所の仕事って視野の外に出てしまうけど・・・。そうした地方の現状を否定的にとらえることは簡単だけど、実は肯定的なことで、優れた人材が全体をリードできる立場にいるわけですね。変な仕事で腐っている人も多いかもしれない。でも、本来持っているはずの意欲と能力にうまく火が付いて、そうでない人が何人かいれば変わっていく気がします。
その通りだと思います。優秀だし多彩ですよね、彼らは。
しかも趣味人が多いですよね。ロック狂とか、自転車狂とか。1回東京など都市の大学を出てから戻っている人もいっぱいいて。1回外の空気吸っていると違いますよね。
倉方
今はね、東京以外のほうが絶対面白いと思うんですよ。言ってしまえば、僕は今、「東京以外主義者」で、東京が衰退すればいいやと(笑)。子どもの頃の東京は好きなんです。ただ、この20、30年で東京は大きくなりすぎた。もうちょっと減らしたほうがいい。東京以外のほうがずっと豊かなことができると信じています。
僕はそういう考えが、東京以外のある程度の人と共有可能だと思うんだけど、それはなぜかというと、地方って言っても、その地域しか知らないという人はそんなにいないですよね。要するに、東京の大学を出たとか、親戚が東京で働いているとか、東京に関係していない人というのを捜すのが難しいくらいの状況になっている。だから、東京のことも通じるはずで、そこから見直せる。今ちょうどいいんですよね。地方性が適宜。
たしかに。そうかもしれない。
倉方
だから、延岡みたいな動き方は特異だけども、今後もありうる。別の場所で、第二第三の形でつながっていくと思います。
そうですね。
だから、なにか可能性を感じるのだけど、しかしまだ何をやればいいのかが見えていない状況です。沢山の方に期待しているからって言われるんですけれども、なかなか何をするかを説明できなくて困っています。いや、とにかくがんばりますとかっていい続けているんですけれども、歯切れが悪いですよね。
大島
私は港町が好きなんですが、横浜にしても、神戸にしても、長崎にしてもみんな港があって、坂があって、Barがあって、坂の上には教会があって、そして、商業が発達してそのまち独自のファッションが生まれたりする。様々な人たちがいて、様々な歴史が積層してまちができていく。そこにそのまちらしさができてくる。
小布施や、くまもとアートポリスはなんかちょっと作りこまれすぎていてあまり好きではない。延岡は小ぶりで特に特徴のあるまちではない。そこを乾久美子の目と勘で切り拓く。とても楽しみだな。今回のプロジェクトが契機となって、唐津だとか豊田だとか、今元気がない地方都市が活気づくといいなと思っています。
倉方
そう、延岡は本当に頃合がいいですよね。動かしがたいキャラクターでもないし、キャラクターがないわけでもないから。
そうか、なるほど。
倉方
そこがまた、乾さんらしいお仕事だなと。これが唐津や豊田だと逆に難しいのではと思います。中心的なイメージがあり過ぎるから、乾さんの持ち味は出にくいかもしれない。
確かに。もっと強いタイプというか個性派の建築家がいいかもしれませんね。
倉方
探せば、実は良さが発見できる。それが延岡らしいか、らしくないかはよく分からないけど「いいじゃない」みたいなのが、眠っていそうですよね。
乾さんは「らしさ」について、どうお考えですか? コンサルなんかだと、本当にそんなこと信じているのかとも思いますが、その土地固有の「らしさ」とか「DNA」といったことを中心に据えることが多いじゃないですか。
「らしさ」っていつも難しいと思っています。「らしさ」って、下手をするときれいごとの作文になってしまうじゃないですか。いくらでも作文は可能ですけど、「らしさ」が明示されていても信じることは難しいですよね。悪い例が記号的なモチーフをつくってしまうことですよね。だから、私はあまりかかわりたくない領域です。ただ、住民の方は意外と「らしさ」を求めるではないですか。そうしたことから解るのは、「らしさ」というのは対外的な問題ということよりは、中の人のプライドの問題なのでしょう。そうしたことを考えると、その「らしさ」を、何かひとつのシンボルに結び付けておしまいにしてしまうことは不毛ですよね。「らしさ」について思考停止するために「らしさ」をシンボライズすると言えばいいのでしょうかね。そんなことは無駄ですよね。
そういうことではなくて、「らしさ」というのはその街の都市性というか、秩序というか、なにか、形にならないものだと思うんですよ。まちの使われ方のルールであったり、まちの中で人がどう動いているのかとか。一般的に、本当の「らしさ」があるまちは、そんなことを誰も考えていないと思うんですよね。それに対して、「らしさ」が失われた、つまり、都市的な規範が失われてた場所が、慌てて「らしさ」を求めるのだと思います。「らしさ」を形態に求めて、わけのわからない銅像などでシンボルをつくりあげるのではなく、あるエリアに行けばなんとなく人が共通認識をもってそこを使っているとか、市民のルールがあるとか、そういったものが生まれればいいですよね。
倉方
そうした秩序というか、なにか、形にならないものに対して、例えば山崎亮さんであれば、無形のデザインで貢献できます。それに対して、有形のデザイン、それは建築でも、より大きな規模のものでもいいと思うのですが、それに何ができると思いますか?
山崎さんが提唱されているのはコミュニティデザインという新しいプロフェッションのあり方ですよね。そうした新しい役割の方とのコラボレーションにはすごく頭を使う必要があって、おたがいの役割の線引きがどこにあるのかを、十分に話し合わないといけないと思っています。
今回、延岡のことをやり始めてわかってきたのが、建築とか、ハードに対する期待値が高すぎることの問題です。見積り額が高いというか。このハードを整備すれば、こんなに沢山の問題が解決できるはずだと、発注者側も、設計者側も期待しすぎている。もちろん、建築のパワーを信じてはいるのですが、建築至上主義的、もしくはハード至上主義的な発想を公共事業に採用することは、本当に達成しなくてはならないことに対してのリスクが高すぎるように思います。建築やハードが本当にできること、つまり適正値を認識するというのが重要だと思うんです。
これまでのようにハードが先走ってしまうのではなく、山崎さんがやっておられるような、コミュニティデザイン、つまりソフトのデザインと、ハードのデザインを、きちっと一致させることが大切なのでしょう。一致させるときに、建築のデザインですべてを「語らない」ほうがよいと思います。あまりでしゃばらない。だからといって、おとなしいデザインとか、保守的なデザインにしたいというわけではないのだけれども、建築デザインが行き過ぎてはいけないなと最近思っています。これまでの建築中心の論理で構築したデザインなのではなく、コミュニティデザインがあったからこそできた!という建築が生まれると素晴らしいですよね。そういったものになればなあ、と山崎さんと話しています。
倉方
そういう期待値の高さが、妙なシンボルを生んでしまう背景にありますよね。
そうそうそうそう。そうなんです。
倉方
今のお話が、乾さんがこれまで東京などの大都市で進められてきた仕事とすごく近いように感じました。
気分としては近いですね。
倉方
「らしさ」というものと、どう付き合うか。要するに、全く無視するのでは貢献できないし、かといって、その期待値に正面から向き合って高く応えようとすると一瞬で終わるものになって相手の役に立たない。あるべき「らしさ」との付き合い方を、乾さんはこの10年間、ブランドのビルなどの商業性や投機性が強い設計を通じて、自分でつかまれたように思います。それはこの延岡のお仕事にもつながっていますね。
その通りではないかもしれないけれど、いままでのものと近いと言っていただけるのは、すごく有り難いかもしれません。
ものすごく平たい言い方をすると、建築デザインのためのデザインはちょっとつらいなあと思いながらこれまでやってきました。自分が建築家という職業を離れたときにみたとしても、自然に理解できるような状況をとにかく作りたいと思いつづけているのです。
それと同じ視点で、まちづくりというのがかなり特殊な領域に見えるから、そうではなくて、専門的な思考回路から離れたところで、自然に理解できるようなまちづくりのあり方がつくれるといいなと思うんですよね。多くの人が、「うん、うん、そうだよね。」という状況というか。事業自体のスキームはまだまだ未定な部分があり、規模についてもまだわかりませんが,いまのところ想定しているのは、身の丈にあった規模です。また駅前再開発の定石ともいえる区画整理は予定されていません。縮退時代の流れを反影したささやかな事業なのです。
面白いのが、この予算が少ないことを、地元の方があまり否定的にとらえておられないことなのです。もちろん、立派なものを求める声もありますが、そうした主張だけではないことが現代性を感じます。それはかなりといい状況だと思っているんですよ。
倉方
そうですか。
少ない予算をどう配分するかというと、シビアに話し合いが必要で、まちの経済規模を正視しながら判断していく必要がでてくると思うんですよね。すると、それぞれがちょっとずつ我慢したりしなくてはいけないケースもでてくるだろうし、お互いに身の丈にあったものを要望するのではないかと期待しています。関係する事業者の話し合いが有意義なものになっていくんではないかなと。
倉方
話し合わないことにはどうにもならないですものね。
もし、そういう風な話し合いで進むとなると、自分の感覚にフィットしたものになるでしょうね。
今、日本において、ハードに沢山の予算を投入することは現実的に不可能ですよね。そうした現実に対して自然にフィットする事業の組み立てをし、その組み立てを素直に形に置き換えればいいかなと。
倉方
なるほど、そうか。今回のプロジェクトは、乾さんの今までのお仕事から急に規模が大きくなったような気がしていたけれど、そういう意味では同じなんですね。建築から都市計画に範疇が変わっただけで、その中では失礼ながら小さいプロジェクトである。
小さい。小さい。
倉方
そこで小さい建築で培った感覚が生きてきますね。巨大建築をぼんとつくるわけではないですから。
同じ、同じ。区画整理ではないので。
倉方
ささやかさ。しかし、そのささやかなところで、それが決定的な変化につながりうる変化を…
狙う。
そうですね。もちろん、都市計画的な視点なしでまちづくりを考えることはできないと思います。ただ、これまでの区画整理事業や、土地利用規制といったような手法だけではない仕組みが求められつつあるのかと思っています。
2011年6月5日、乾久美子建築設計事務所にて収録。次回【4】に続く
延岡駅周辺
スモールハウスH
©IWAN BAAN
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