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建築家インタビュー
乾久美子
乾久美子/いぬい くみこ
乾久美子建築設計事務所
1969年 大阪府出身
倉方俊輔/くらかたしゅんすけ
建築史家・大阪市立大学大学院
工学研究科准教授
1971年 東京都出身
倉方
「地方」と言うより、現実的には「東京」と「東京以外」と言ったほうがいいと思うんだけど、その二つは前よりずっと、コミュニケーションできるようになったと思います。東京以外の良さを偏見無く分かる東京在住者も、東京を過度に意識しない東京以外の人も増えている。
でも、そうした部分だけを語っていても現実からずれてしまうわけで、東京と東京以外はまだ別の世界だと思わされる状況も、正直あります。いつの時代の話ですか? というようなイケイケな考え方をしている方に出会ったりとか。
バーンと作っちゃおうというような発想は残っているのですよね。
倉方
えっ!みたいなね(笑)。
そういうのがわかっていないと、延岡でこの普通さが通ったすごさがピンとこないかもしれない。
伝わらないのかもしれませんね。
倉方
「ズレの感覚」は結構ありますよね。どう見ても失敗に突き進んでいる開発プロジェクトがあったり、そこにしかないものを壊して計画道路をつくったり。
小倉で言うと、駅の北口に巨大なAIM(アジア太平洋インポートマート)があって、これは政策的にも失敗の型も、大阪のATC(アジア太平洋トレードセンター)と同じでしょうね。そうかと思うと、旦過市場っていう良い独特の空間があるのですが、それが再開発の計画になっていて愕然としたり。
でも、街にはいろいろなおもしろさが埋もれていて、そこから何かを始めたいと考える市民は少なくないですよね?
います。そういう市民は潜在的に多いはずなんです。
立派な施設がほしいタイプの方は、ビジネス的な視点のみ考えているんだろうと思います。だけど、全員ではないかもしれないけれど、ある一定の割合の市民の方は、自らの生活のレベルと実感に見合ったまちのイメージを精度高く把握しているのではないかと思うのです。世間話や、地方出身の自分がそういう実感をもっていることもありますが、「普通のこじんまりした施設で十分なんじゃないの?」って思うことのできる想像力が、市民レベルで存在していると思います。その想像力は大切にしないといけないと思うのです。
しかしながら、地方には声の大小があり、残念ながら声の大きな人たちが大きいものをほしがる傾向があって、それが小倉のようなケースを生んでいるのかと思います。延岡ではそういう不幸が生まれないようにしたいです。これから、どういう声の大きさがあるのか、どういう規模が望まれているのかを議論していくところです。私個人としては、延岡というまちの身の丈を見極めたほうがいいのではないかという意見を持っています。
倉方
同感です。それで、その時に可能性があると思うのが、その声が大きい人たちが眼に見える。数えられる人数だということです。
実力者は弊害にもなるけれど、そのうち何人かに意思がある人がいれば、まち全体がいい方向に動くことができるはずです。それは「東京=自然」的な状況とはだいぶ違う。
延岡では、そちらのほうに振れたのではないでしょうか。
きちんとおさえていればよい方向に向かうということですよね。
倉方
東京みたいに「平等」ではなく、声の大小がはっきりしているというのは、東京以外の良いファクターと捉えることもできると思うんですけどね。
たしかにその部分は面白いところだと思います。まちづくりは初チャレンジですが、いろんな意味で面白いです。建築の見方が変わるって言う意味でもおもしろいし、こんなに沢山のすごい議題が存在しているというのもおもしろいし、今までの自分の作業の範囲がすごく狭かったのだなあと思っています。
倉方
そうした発見と、それをもとに良く調べたんだなぁという感じが乾さんのプレゼンテーションから伝わってきて、それが感動的でした。
大島
これを受け入れたというのがすごいと思う。乾さんもすごいけれど。
そう、受け入れてくださった市民や事業者、市の方々がすごいし、こうしたプロポーザルのスキームを構築された橋本純さん達の動きもすごかったと思います。
大島
地方都市はおもしろいなとは思いますけれど、最近、岡山とか広島とかに行っても、駅前が東京のチェーン店ばかりになってしまっていて、駅前から地方らしさが失われている。これからが乾さんたち建築家の出番だなと。ヨーロッパのように、小さなまちでも訪ねたくなるような魅力のある地方都市をつくっていってほしい。
倉方
ここからおもしろくしていかないと。
いろいろなレベルで材料が揃いつつあるのかもしれませんね。おっしゃられたように、それぞれの地方にも人という資源が増えてきているし、東京や都市部からもこれだけの方が地方に関わろうとしておられるじゃないですか。
倉方
本当にそう。ここ何年かで、おもしろいことの流れは東京以外に向かっていることを実感します。「東京」や「郊外」以上にね。今回も新建築の橋本純さんが関わっておられますが、さすがだと思いますよね。鋭い。あの人の時流を読む感覚って。
大島
橋本さんは鋭い。建築に対する建設的な意見をもっている。単に一編集者という枠にとらわれず、コメンテーターとしてどんどんメディアで発言してほしい人だ。延岡はぜひ成功させたいですね。
倉方
意外と九州は挑戦的じゃないんだよね。おとなしくて、人が良くて。だからこそ、外の人を受け入れる人の良さがある。これが自信満々だったら、俺の土地は俺がとなるはずで、いい悪いは別にして、これも現時点での九州らしさの成果だと思います。
本っ当にいい人ばっかりなんですよ。仮面かぶっているのか?(笑)と最初は疑っていましたが、完全に地であることがわかってきました。
倉方
僕も最初戸惑ったなぁ(笑)
大島
話は変わるけれど、東北でも、建築家たちが一生懸命活動しているけど、具体的にひとつのまちに入り込んでまちづくりに関わっているというのを聞いたことがない。この延岡の事例が東北の被害を受けたまちにもうまく伝わっていくといいと思うんだけど。
倉方
建築家という存在はこういうことにも使えるんだよというのが社会に広まらないといけないんだけど、このきっかけが難しい。優れた建築家は能力もやる気もあって、お困りの状態に対していい貢献しますよと・・・でも、あまりそう思われていないですよね。
建築家が東北の各自治体に働きかけに行っても突っぱねられてしまう。建築家?忙しいのに、またややこしいのが来た、なんて追い返されて終わるケースが多いと聞いています。一方で、たまたまの知り合いがいる集落のコミュニティから声をかけられて、住民の方々と話し合いながら、こういう集落をとりもどしたいというような意見書としてまとめていくケースもあるようです。建築家ではなく集落のコミュニティから自治体のほうに提案すると、喜ばれるのではないかと考えて、実際に、活動しておられる方がいると聞きますけどね。そういうやり方は非常に合理的で、賢いですよね。
自治体にとって住民の意見は尊重しないといけないものだし、また、住民の意見を取りまとめてくれるなんて、自治体職員の役割を肩代わりしているわけだからすごく有り難いはずです。無理のある提案をしたらだめかもしれないけれど、ある程度現実的な提案ができれば、採用される可能性は大きいのではなかと思います。
倉方
非常の際にはスピードが大事なのだけれど、スピードが大事な部分と、そうではないものは本来、切り分けられますよね。
しかし、スピードの体制の中にいないとお金が下りないから急いでしまうといったことにもなる。そして、スピードが大事な時に建築家が入り込む余地は少ない。阪神・淡路大震災の時も同じかどうかわからないですけれど、そこが難しいですよね。
難しい。
倉方
「まちづくり」って、本来はそういう意味の言葉では無いはずですが、何か基本的に早くやるものになっちゃってるじゃないですか。
今日、乾さんの話を伺って、まずリサーチを行うという姿勢がいいなと思いました。現実というのは明解じゃなくて、複数のことが同時に起こっている。それを「分かった気になってやらない」という姿勢が確固としてある。そのメッセージが受け入れられたことは大きいと思います。
ただ、今回みたいな大きなことが起きると、本質的にトップダウンの体制が露わになるから、そうした姿勢が入り込むことは難しい。
でも、震災はね。難しいですね。
倉方
難しいですね。予算が大きいほど、川上の声が大きくなりがちで。
乾さんは3月11日の震災を、一人の生活者としてどのように受け止めていますか?
震災ですか。時代が変わってしまったなという気持ちが強いです。表現の意味も変わるのかと思います。
倉方さんも関わられていた新建築社の「住宅10年」で取り上げられていた世界が終わるなという気がしていますね。あれは、それこそ「終わりなき日常」が前提の世界だったのかと思います。その前提が変わってしまった感じです。
生活者の姿勢としては、地味な話ですが、事務所でサマータイムを導入することにしました。建築家=宵っ張りという意識を捨てて、みんなで早寝早起きをして、日光がある時間帯にできるかぎり働いてみているのです。ささやかですが、自分たちも何か貢献しなくてはいけないという気持ちでやってみています。建築家は生活の様式を考えることもするわけですから、自分達が変わらないといけないかなという気持ちでやっています。
たまたま、まちのことを考えることをやり始めたので、そういった意味でもタイミングもいい。なにか、敷地の中でこじんまり作るのではなく、建築の種編に存在するいろんなものごとを考えることの重要さが、リアリティをもって迫ってきている感じです。
倉方
そうですね。震災は悲劇だけど、本当に00年代が終わったという感じがします。
そうなんですよね。
木村
阪神大震災の時に見たテレビの映像でも、私自身はかなり衝撃を受けましたが、ひとつの時代が終わったという点で、その時とはずいぶん印象が違いますか?
大島
根本的に違うのは、地震に原発という人災が加わっている。地震というのはある程度予想されていたけど、原発は人災だ。原発は人災なので問題が大きいよね。
ですよね。あとは、高齢化社会がより先鋭的な問題となっている中での震災であること、いろいろな援助がそもそも必要だったエリアということもありますよね。阪神は自治体がそこそこ裕福であったことに対して、今回は、本当に総力をあげて助けないとダメなエリアなのではないかという共通の意識があるのではないでしょうか。
大島
阪神も見にいったけど、東北は規模が違う。言葉にならなかった。
倉方
東京と東北はある意味で対照的じゃないですか。最も活気あふれるように見えるところと、そうでないところ。それが東日本で地続きなのに、別だと思っていた。うすうすマズイと思っていながら向き合わないで過ごしていた問題が現れてしまった。東京で電気が止まったらどうするんだとか、地方の暮らしの問題とか・・・。
その意味で、より複雑なリアリティが皆の前に露わになったわけで、乾さんの言うような、バランスを見出す職能としての建築家が活躍すべき場は拡がったのだと思います。
大島
今回はまちづくりの話が中心となりましたが、これから住まいを持とうとされている方へのメッセージをお願いできますか。
戦後長らく住まいは個人消費の対象でした。一方で、建築家やまちづくりを考える方々は、アトム化する個人、そして個人的な住宅のあり方について警告をならし、それ以外のオルタナティブなあり方について真剣に考え続けてきました。しかし残念ながら、個人消費財としての住宅のイメージを払拭することはなかなかできないまま時間を浪費してきたような感じではないでしょうか。そうした状況で震災が起こった訳です。
この震災の影響なのか、結婚願望や家族との時間を大切にしたいというような、人とのつながりに対する欲求が高まっていると聞きます。そうしたことが感情的なレベルで語られることにはちょっとした恐怖感がなくはないですが、しかし、人が社会生活をする上での基本であるわけだから、それを取り戻すことはとてもいいことだと思います。
その意識が、住宅のあり方、まちのあり方へと向く事ができれば、過去数十年と建築家がストラグルしていた課題を、ようやく、世間の方々と共有できるようになるのかと思います。ぜひ、そういう時代がくることを祈っています。
ミサワホームのような住宅産業の最先鋭が、こうした企画をしているのも、その現れなのかと思います。日本において住宅産業の役割はとてつもなく大きいと思っています。Aプロジェクトだけでなく、一般住宅の開発レベルでも、人のつながりを誘発するような家の作り方を大切にしていけるといいのではないかと思います。それは、建築家だけでなく、建築学、建設業界全体の想像力に関わっていることでしょう。建築家、住宅産業という分け隔てなく総力戦で頑張っていかなくてはならないなと思っています。
大島
乾さんのこのプロジェクトの成功をお祈りして、今日はこの辺でおしまいにしたいと思います。ありがとうございました。
2011年6月5日、乾久美子建築設計事務所にて収録。
延岡駅周辺
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