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建築家インタビュー
乾久美子
乾久美子/いぬい くみこ
乾久美子建築設計事務所
1969年 大阪府出身
倉方俊輔/くらかたしゅんすけ
建築史家・大阪市立大学大学院
工学研究科准教授
1971年 東京都出身
倉方
その後、延岡を何度も訪れていかがですか? 発見したことや思いついたことなどは。
延岡ならではかどうかわからないけれども、いろいろな資源があるなあと思っています。市民団体が多くて、皆さん活発な活動をされています。たとえば、貴重な文化財である天下一の能面を使った薪能(たきぎのう)をNPOの方々が準備運営されていたり、その他のイベントも頻繁に行われているようです。また九州一円から人がやってくるお祭りなどもある。
次に、駅周辺のまちを歩いてみると、駐車場が多くて、一見、すさんだ感じなのだけど、でも、よく見てみるとお花をきちっと植えて手入れしたお店とか、それなりにまちに対して気を使っている方々がいることが分かってきます。
それから、最近気に入っているのが、商店街の中にあるデイケアセンターなんです。商店街の道沿いにデイルームがびしっと面していて、掃き出しの窓があけっぱなし。中を覗くとおじいさんが寝ていたり、ダイニングテーブルでおばあさんが寛いでいたりするのが見えていて、なんか、オープンなんですよね。デイケアセンターってなかなかまちの中にあっても、外に対して閉鎖的なことが多いんだけれども、ここではあっけらかんとしていて、相当センスがいいなと関心しています。こうしておじいさんとかおばあさんが道を眺めていることそのものがいいのです。彼らがまちを見守ってくれている感じが、その界隈におちつきをあたえている。ちらほら、そういうユニークな特徴をみつけはじめています。
なにか、延岡らしいかはわからないんだけれども、少なくとも東京では、なかなか達成できないような豊かさを感じるわけです。
倉方
そうした豊かさは何から来るんでしょうね?
どういうふうにまちを評価しているかというところですよね?
外との関係を失わないことは重要だと思うんですよ。敷地境界線を越えて、自分が廻りの環境を利用し、かつ、周りの人たちにも自分の環境を提供するという、ギブアンドテイクの関係がきちんとある状況が素敵だなと思います。
たとえば、大都会の繁華街では歩道に人がいっぱいいて、外と中が一体的に使われていますよね。最近はやっている立ち飲み屋なんて、歩道に客がはみ出していて、なかなか楽しい風景になっていますよね。だけど、地方都市はなぜか皆すごく閉じているんですよね。やっぱり、スナックの比率が高いからなのかなあ。だけど、やましいことのない食堂であったとしても、外から中が見えないようになっている。
あれが地方都市の不思議さで、外部者からの視点だと、ちょっと神経質に見えますよね。なんかこう、こんなにいい場所なのに、みんな、周りに対してすごく閉じている。なにが原因なんでしょうね。開いているのは洋品店、八百屋、文房具とかその程度なんですよ。
倉方
もっと開くようになると、さらに面白くなっていく。それは今までの地方都市とも違うし、あるいは東京とも違う何かかもしれませんね。
延岡市は人口13万人の都市で、私がいた(大学時代に留学していた)イェールのあるニューヘブンというまちもたしか13万人で、だいたい同じくらいなんですよ。もちろん、8割がたが大学関係者なんですけれども、あの中で3年間ほど暮らしていましたが、非常に居心地がよいと感じました。
日曜日に散歩していると5人くらいの知人に会うんですよね。会いたくない人も中にはいるんですけれども(笑)、街で人に会って挨拶するのは、基本的にとても楽しい行為だと思いました。安心するというか、自分がそこに暮らしていることを挨拶のたびに再認識して、それだけで生きている実感がわきますし、そのことで気持ちも安定する気がします。
そういう体験は、東京のような大都市だとほとんどありませんね。それを補うさまざまな楽しみやアクティビティを獲得することはできるけど、結構な努力が必要です。ちいさな都市であれば、そんなに努力しなくても、人にとって必要な生の実感を、自然に得ることができる可能性があるように思います。
そうした生の実感を味わうためには人と会うことが大切だと思います。すれ違って、「Hi」、「こんにちは」ということが基本になるのです。延岡はそういうことが容易な規模のまちにもかかわらず、閉じているし、車に乗りすぎているから、人がすれ違うことがない。人とすれ違い、出会うチャンスが完全に失われているわけですよね。もちろん、飲み屋では知り合い同士で挨拶しあっているんですよ。しかし、それが、まちなかの歩道にはないんですよ。
倉方
そうそう。地方都市は、もっとハプニングが起きて人生が濃密に、しかも安心感を持って過ごせるような「ビルディングタイプ」になるはずなのに、そうなっていないですよね。
失われている。それがちょっともったいないなと。
倉方
プレゼンテーションにあった緑のネットワークは、どうお考えですか?
意外と気に入っている人がいっぱいいるんですよ。
倉方
正直に言うと、僕には綺麗すぎる言葉に聞こえて、あまり心を動かされていないんです(笑)。
そうですね。綺麗すぎるという批判はあるでしょう。それは、都市を美観的な視点でしかとらえないということへの批判かと思います。けれども、最近、ちょっとまた違った視点で緑のネットワークというのを考えて、位置づけることができるかなと思ったんですね。
今、風関係の環境のことをやっておられる方にお話しを伺うと、並木道は、風の通り道だったり、環境整備装置として働いていることがわかります。その他にも、樹種の選定を精査することが前提ですが、防災的な側面があったりと、緑のネットワークというものを機能的な側面から捉えてその必要性を主張し続けていきたいと考えています。今回の5年間の中には含まれないかもしれないけれど、実現の方向を市の方々と探っていきたいと思っています。
倉方
イメージ的にグリーンがあっていいねというのではない捉え方が、並木道に対してもできる。そちらに・・・。
そちらにシフトしていきたい。
今までの都市計画のクライテリア(判断基準)は、市民にとってわかりにくいのではないかと思います。都市計画が抱える問題を市民と共有するのは難しいのかもしれませんが、せめて、それらを明確に語る言葉は必要だと思います。並木道もそのひとつだと思うんです。
並木を作れという市民と、落ち葉の問題や日照の問題から並木を切ってほしいと要求する市民の両方がいて、自治体の職員が閉口していることはよく聞きますが、これは、並木をつくるという都市に関する施策の意味が、市民と共有されていないことから起きている悲劇だと思います。景観法の整備などにより、都市の美観に対しての意識は以前よりは高まったかもしれませんが、しかし、美観だけで説得することが難しい問題は多々あります。施策のひとつひとつに、なにか新しい意味づけを与える必要があるのかと思っています。そのためにはリサーチなどが必要かと思っています。
倉方
リサーチというと公式の調査のようだけど、見ることとか、捉えることですね。
捉えることもありますよね。それから、それぞれの手法が、歴史的にどのような経緯でできてしまったのかをもう少し認識したいと思っています。「まちづくり」にはさまざまな次元とジャンルの知見が集まってくるじゃないですか。5年間でどこまで勉強して対応できるか分からないんだけれども、それらをできるだけ正しく理解した上で、まちづくりに対して批評的な視点で考えていきたいなと思っています。
倉方
たしかに「まちづくり」には、さまざまな分野が関わってきます。そうした複合性を生かす上で、建築家が意識すべき点は何だと思いますか?
そうですね。そもそもなんで建築家がデザイン監修者なる役割を担わないといけないのかということですよね。私たちがこれまで「建築学」を学んできたことが、何にいかされているのかということについて、実をいうとまだよくわかっていません(笑)。
ただ、何かしらデザインをするというのは、何か別の次元にあるモノゴト同士を結びつけるということじゃないですか。プロダクトデザインはモノと人を結びつけることだし、車のデザインだとメカニカルな世界と人の行動やパッションとをうまい具合に結びつけることですよね。建築設計というものは、特に結びつけるものが多種多様で、さらにその数が多いのが特徴で、そのために、状況を総合的にバランスよく見ることを叩き込まれるわけですよね。
そうした建築家らしいバランス感覚はプロジェクトにとって非常に有益だと思っていて、なるべくその姿勢をきちんと守っていこうと思いますよね。
倉方
建築家はバランスをとるべき要素を数多く把握できる利点をもっている。もたなければといけないと。
そうだと思います。
倉方
他のプロフェッショナルは3や4のバランスを厳密にとるようなもので、建築家は10とか12の要素を発見して、バランスをとろうとする。たしかに、それは建築家でないとできないかもしれませんね。
できなさそう。住宅設計だと奥さんの気持ちになってみたり、次の瞬間には旦那さんの気分もシミュレーションしてみたり、さらに工務店のオヤジさんの考えていることも想像してみたりと、さまざまな立場の思惑を考え続けなくてはなりませんよね。それだけでなく、構造、材料、工法といった建設に関わるメカニズムが要求するモノからの声も聞き取らなくてはならない。それに対して、実状は違うのかもしれませんが、都市計画は考える事の領域をもうすこし限っているように思うのです。
倉方
限ってしまう。ある個人の情感や、まちへのプライドといったところまでは、なかなか話が達しませんよね。
ですね。
倉方
建築家は多数のバランスをとる職能だという認識は、これまでの建築設計で早くから意識していたのですか? それともだんだんに?
独立後の初期は、ショップファサードの設計が多かったじゃないですか。
ショップファサードというのは両義的な態度を必要とします。ショップの売上げのことだけを考えていると、商業主義、資本主義に迎合しただけのデザインになってしまうわけだし、だからといって売上げを無視したデザインは絶対に採用されません。そうした設計対象に対して最低限自分たちに課したことは、いわゆるクライアントのことだけを考えないということです。ブランドのことだけを考えちゃうと、ただの看板になってしまいますよね。それは、どう転んでもダサいし、まちなみの倫理性を考えると非常にまずい。せめて、ブランドを表しつつも、まちなみにフィットさせる方法論を見つけようとしてきました。うまくいっているやつと、うまくいっていないやつもあるんですけれども、つまりはブランドの私益と、まちの公益とをうまくバランスさせる努力をしてきたわけです。
そうした考え方はショップだけに限るものでもありません。住宅などを考える時も同じです。個人住宅もショップとそんなに状況は変わらなくなってしまって、下手をすると施主だけのことを考えたものになってしまう。そうではなく、まちとか、廻りの風景にとって明るい雰囲気をふりまくようなものを作りたいと考えています。なんかそういうことをバランスさせようという努力はしていますよね。それがわりとウチの事務所の基本なのかも。
倉方
何のためにそういった努力を?
わたしの設計の基本姿勢がそうなのです。建築は倫理的なものであってほしいと思っています。パブリックなものに対して何かを与えるものであるべきだという視点です。
アメリカに留学したとき、イェールではアーバンデザインの先生が多かったのです。ニューアーバニズム(※1)といった保守的な一派だったので、100%の信頼感をもって受け入れたわけなかったのですが、しかし、まちから建築を考えるという視点はおもしろいなと思っていました。コーリン・ロウの本に興味を覚えていた時期だったので、そこから派生してでてきたニューアーバニズームのようなアーバンデザインの方向性にも何かはあると思っていました。
いずれにせよ、まちに対して、建築が報酬しなくてはいけないという基本姿勢はそこで学んだのだと思います。
※1:1980年代後半から1990年代にかけて、主に北米で発生した都市設計の動き。伝統回帰的な都市計画といわれ、鉄道駅を中心に、商業施設や住宅地がその周りを囲んでいる、といった都市モデルが想定されている。
倉方
仕事を依頼してくるクライアントは、それでどういう得をするんですか?クライアントは直接にそういうことは望んでいませんよね。
一般的には望んでないですよね。
わざわざ言わないで、こっそりコンセプトを立てたりするケースもありました。特にブランドのファサードがまちに対してどうだなんて説明しても商売には関係ないわけですから。ただし、文化を育てているというプライドをもっているようなブランドには、素直に、まちなみにフィットするものをつくりませんか、と投げかけたこともあります。
そうしたタイプではない方には、なんて言うんでしょうかね。
まちに魅力があるからこそ住みはじめると思うのですが、自分達が入っていくときに、そもそも自分が魅力を感じていた雰囲気を壊してはいけないという感覚は重要だと思うんですよね。元も子もなくなる。
で、まちをあまりまわりを壊さないように作ることで、全体としてまちの雰囲気が保存されることに結びつくわけで、間接的にはお施主さんにメリットとして帰ってくることなのかと思います。
今、何でもかんでもそこにあったリソースを食いつぶすようなものが多いですからね。
倉方
本当に。
それはやっぱりまずいと思うんです。比喩的な言い方になりますが、土地が砂漠化していくというか、養分が失われていくように思います。そうした方法ではなく、農業と一緒で、とると同時に常に土地を保ち続けなくてはいけないというような、バランス感覚が重要だと思うんですよね。
せめて建築家がやらないと。日本では炭鉱のまちとかでない限り、これまでゴーストタウン化することは少ないのでリアリティがないかもしれませんが、アメリカなどを見ていると、まちというのはけっこう簡単にゴーストタウン化していくことがわかります。留学中の当時、ニューヘブンのあちこちに廃墟が立ち並ぶエリアがあったので、ゴーストタウンがリアルに理解できるのです。
ゴーストタウンというのは、意味としては、土地のリソースが食いつぶされて砂漠化して捨てられたということなのかと思います。あぁいうことが我が国で起きると辛いですよね。何とか食い止めないとというような態度で臨みたいと思いますね。
倉方
これから日本の人口は減少していますから、どう考えてもゴーストタウンは生まれますよね。
はい。ゴーストタウンは必ず生まれますね。
倉方
その認識を持って、地方都市の取り組みを行えるかどうか。
それにしても、今日は本当にお話をお聞きして良かった。延岡のお仕事で明確になった態度が、これまでの乾さんの姿勢をとても良く説明していて、00年代の東京というか大都市で獲得された姿勢が、ぐるっとまわって10年代の東京以外につながっているのが分かって。
ありがたいです。
倉方
インタビューの前に、乾さんの『そっと建築をおいてみると』(INAX出版、2008)を読み返してみたんですけど、この本は「私にとって建築とは、それをおくことで世界を更新するようなものなのではなく、そのなかに世界の新しい表情をみつけるようなものだ。」という一文で始まります。そもそも建築を「つくる」ではなく、「おく」というところに乾さんの姿勢が良く現れていますよね。
ただ、これは「都市=自然」感というか、東京のような都市は自然のようなもので、それ自体を変えることはできない、だから新しい意味を些細でも発見するんだという思想とも読み取れます。僕はそういう考えには基本的には反対で、それは東京にしか存在できない建築家の脆弱さだと思うんですね。
僕も東京にずっといて、個人ができることというのは高度成長期に終わってしまっていて、もう何も変えられない時代だと。経済の嵐や不況の雨といった自然に対して、どう立ち回るかしかできないんだというのがずっと無意識にありました。
でも、小倉に行って、そうではないと確信したわけです。
なるほど。
倉方
一人の建築家ができることはたくさんあるし、その場所の未来もつくれる。建築家が自然の中で小さくなってやっていくしかないというのは違って、東京から一歩目を離せば、建築家がすべき貢献も、求められている能力もたくさんあると思います。
そういう意味では大都市が自然というのはそうかもしれないけれど、そういう考えだけではどうかなと。
なるほど。
倉方
でも、今日乾さんとお話して、そういう考えがすごくいいんだと気付いたわけです。東京でないところだと、下手すると変えられちゃうんですよ、つくれちゃう。東京は経済的な要素が大きいし、合意形成も複雑だから、大きなものが一人の決定はできない。しかし、地方都市だと表面上は、今でも一人の人間が大きなものをつくれる。まちの線を引けたりとか。それで、失敗を多く目にするわけです。
でも、本当は、乾さんが東京で培われてきたような、今ある環境を自然としてみて、それこそいろいろなファクターを受け止めて、バランスを保ちながら動かしていく、東京以外でもそれしかできないんですよ。なのに、できると思って、大きな箱物をつくったりとかして、もともとあった関係性を切ってしまう。だからいけない。都市を自然とみて設計する態度は、延岡などの地方のほうがむしろ必要ですよね。
そう考えると、一人で作れるものだと思っちゃうのが、今の地方都市の悪いところかもしれません。乾さんはそうでないやり方を大都市の状況の中で獲得されて、そのいい点を東京以外の土地に適応させている。全然脆弱じゃない。それがね、なんか現在だなあと思うわけです。
そういうことなんですね。その考え方は共有します。今、うまくまとめていただいたので、あ、そういうことかと思いました。あまり、大きく動かさないというのは、まさにその通りで、確かに有効な考え方なのかもしれません。
倉方
ファサードやインテリアなどをいろいろ手がけてきた中で、公共性、公共性というと少し硬いですが、さっき言われたのはそういうことですよね、それを建築家の仕事として担保しようという。
はい。
倉方
その手法が延岡まで連続しているんですね。
2011年6月5日、乾久美子建築設計事務所にて収録。次回【5】に続く
延岡駅周辺
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