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建築家インタビュー
吉村靖孝
吉村靖孝/よしむら やすたか
吉村靖孝建築設計事務所
1972年 愛知県出身
建築と規制力
――前回、生物学者のユクスキュルが書いた本についてうかがいましたが、読書体験でほかに大きな影響を受けたものはありますか。
吉村
ローレンス・レッシグという憲法学者の本ですね。これは圧倒的に大きな影響を受けています。いちばん最初に読んだのは『CODE』という本で、これは『超合法建築図鑑』のもとになった「デコード」というリサーチをしていたとき、検索で偶然ひっかかった本です。これがまさに目から鱗の読書体験でした。成熟したインターネット社会で法律がどういう役割を果たすべきかということについて書かれているのですが、建築(アーキテクチャ)という用語が頻繁に出てくるし、ぐいぐいと引き込まれていきました。この本のなかでは規制力の4要素として「市場」「規範」「法」「建築」があげられるのですが、これはそのまま僕の設計の指針のようなものになっています。レッシグにはこの本のほかに『コモンズ』という、著作物の共有について書いている本があるんですけれども、それが私が企画した「CCハウス〜建築のクリエイティブ・コモンズ」展(*)につながったりもしています。彼の本に出合わなければ建築家としての僕はここにいなかっただろうと思います。
この『CODE』という本でレッシグは、法学のシカゴ学派の分類に則して規制力をさきほどの「市場、規範、法、建築」に整理したうえで、インターネット上で極端に強くなる「建築=コード」の規制に対して警鐘を鳴らしています。コードを牽制するためにインターネットにはインターネットに適した法整備が必要であると説いています。これをこのまま建築の問題として引き受けるのは飛躍がありすぎですが、「建築」や「建築家」は、建築という物理空間の制約に翻弄されすぎであるということを遠回しに指摘されているような気分になりました。
建築するということは、他からの規制力を受けとめることでもあり、他に対し規制力を発揮することでもある。そう意識したら規制されることが気にならなくなりました。というか、規制を受けていることを非常にポジティヴに捉えるようになって、今では規制を受けることによってはじめて建築は建築になるのではないかということを思うようになりました。
*2010年11月29日〜12月17日、東京・北青山のオリエアートギャラリーにて開催。改変可能を前提に住宅の図面一式をオープンソース化し、図面の購入者が自由にカスタマイズして家が建てられるという提案のもと、図面や模型が展示された。
――規制力のひとつである法については、ふつうはしょうがないから法律に則って設計する、そういうふうにしか捉えないですよね。
吉村
『超合法建築図鑑』は、そこを突き抜けている建築のコレクションになっています。建築って歴史的なすごく長い眼で見ると、より少ない材料でより大きな気積の空間をつくるとか、要するに、どうやって重力に抗うかというテクノロジーを少しずつ前進させてきた。つまり重力を規制力と捉えている。重力は物理的な拘束力を発揮しますから建築に対する建築の規制の一種だと言えるんじゃないかと思うんですけれど、これだとどこまで行っても建築のための建築というか、構造とか構法の話にしかならない。しかし、法規とか市場とか規範みたいなものを重力と同等の重要な規制力だと考えてみると、建築というのはまだまだいろんな変化の仕方があるんじゃないかなと思うんです。そういった新たな規制力の発見こそが、建築を変えるきっかけになると思います。
――吉村さんは『超合法建築図鑑』で、規制力としての法規に注目されているわけですが、この本をつくる過程からまちづくりに対する新しい視点は何か出てきましたか。
吉村
まちなみをつくるのは法規だけではありません。先ほどあげた規範、市場、建築も大きな規制力として働いています。たとえば、規範はまちなみや歴史景観と言われるものに関係すると思います。この規制力は、たとえ明文化されなくとも大きな力を発揮します。お城の隣にお城みたいな公衆便所ができたりするのは、超規範建築だと言えるかもしれません。ほかにも市場というのは、まさしく現在の林立する高層ビル群を生み出す原動力になっていると思うし、そもそも、超合法建築物と呼んだ法による建築にしても、市場による規制力が法の限界まで建物を建て尽くそうという力に転換されて、はじめてああいった形状がでてきています。地方都市よりも東京に超合法建築が多いのはそういう両面からのせめぎあいがあるからです。超合法建築は、超市場建築でもあるわけです。僕は、こういった4つの規制力を、建築を見る際、デザインする際の入口にしているように思います。
ただ中でも法規は、より具体的にまちなみにコミットするための道具になると思うんです。そもそも法は、規範や市場や建築の規制力を包含する入れ子的な規制力ですが、場合によってはそのどれにも属さないのに守らなければならないといった状況を生み出すことができる。「お上が言うんだから」というやつで、これは建築家にとってはやっかいでもありますが、ほかの規制力に比べて介入しやすい側面をもっているとも言えると思います。
たとえば野球のイチロー選手がいますね。イチローのプレーというのは、野球のルールに対する超合法的アプローチだと思うんです。コツンと当てて走ってヒットにしてしまう内野安打というのは、もちろんルールは守っているけれども、彼の足の速さやバットに当てる特殊な技術が折り重なってはじめて可視化された解釈です。そういった新解釈が今度はルールを変える力になることだってあり得る。同じように、建築もイチロー的に法規をギリギリ使い切ることによって、もしかすると新しい法規が生まれる可能性があると思います。そして、新しい法は、必ず新しい建築を生む。僕はそこにわくわくします。
――資産活用を目的としているお客様もいらっしゃると思いますが、一般の方にまちなみに対する規範やモラルをどのように伝え、解決されていますか。
吉村
不動産の投資物件みたいなものと、まちなみをつくるモラルみたいなものが、一般的には反対を向いていて、こっちを立てるとこっちが立たないというようなものだと思われていると思いますが、僕はそうではない解決法をみつけようとするのではないかと思います。不動産のことなんて言っていたら作品になりませんよって言える建築家は羨ましいとは思いますが、たぶん僕はそれをぜんぶ飲み込んでやるでしょうね。これまで、面積を稼げと言われたら稼ぎますし、コストを抑えろと言われれば海外生産までして抑えています。それが面白さに転じるところまで突き詰めたらいいんじゃないかと思います。閾値というか、分水嶺みたいなところがあるんですよ。それを超えれば楽しくなってきます。あまり中途半端にしないでぜんぶ守ったらこれだけ変わったものになりますがいいですかと。そういうところまで持っていければいいんじゃないかと思うんですけれども。
新たな問題設定から新たな回路をつくる
――吉村さんは建築の内側からの思考だけでなく、建築を外から見る視線というものも同時に持つことによって、新しい建築への突破口みたいなものが出てくるんじゃないかというスタンスを取られていると思いますが、そのあたりの感覚というのはどのあたりから芽生えたんでしょうか。
吉村
どうなんでしょうか。学生時代に古谷先生が評価くださったのは、おそらく設計のスキルではなくて、問題設定のスキルだと思います。課題に応えるだけじゃなく、課題に応えすぎるというか。そうすることで課題自体のフレームが揺らぎはじめる。そういうことに興味を持っていたように思います。今の無気力な若者を超合理主義者と呼ぶそうですが、言葉の響きだけ聞けばそういうものに近いアプローチかもしれません。うまくできるかどうかは別として、建築を学びはじめて比較的早い時期からそういうことを試みていたように思います。
――問題に対しても答えをふつうは追求するところで、問題自体を問題にしてしまうんですね。
吉村
オランダのMVRDVのアプローチも似たところがあって、奇を衒うというよりはむしろ生真面目なんじゃないかと僕は思っているんですね。誰も思いつかないようなことをやるのではなくて、誰もがそれを思いつくんだけど実際にはやらないようなことを本当に実現、まぁ実現までしなくても視覚化してしまう。そうすることで、問題、課題のほうがあぶり出されるというか、現実の輪郭が崩れ始める。そういうアプローチをしているのではないかと思います。
――そこで新しい問題設定が可能となり、新しい建築への回路もできてくる。いままで建築の中だけで問題設定をして解を見付けようとしていたんだけど、ちょっとずれた問題設定をすることによって、建築の概念自体がちょっと動いていくという感じなんですかね。
吉村
そうですね。去年、住宅建築賞をいただいて、この間その講評会があったんです。そのとき審査員をされた西沢大良さんが、建築家というのは新しい野菜をつくらないといけないんだという話をされました。見たことのある野菜ではなくて見たことのない野菜をつくらないといけないと。でも僕は、なんで新種の野菜が必要なのかということを同時に考えられないと、試験管の中でひたすら新しいものを生みつづける研究者のようになってしまって、それはちょっと違うんじゃないかという気もするんですね。理由と成果が揃ってようやくの新種。たとえば、土とか気候は建築的規制力の一種だと思うんですけど、そこをチューニングしてやれば見たことのない野菜はできる。試験管を振り振りしなくても新しい野菜は十分つくり得て、それが、市場や法や規範とうまくリンクして初めて新しい野菜が意味のある状態になると思うんです。僕はそういうふうに建築がつくれればいいなあと思っているんですね。
なんで西沢さんがそういうことを言われたかというと、住宅建築賞はNowhere but Sajimaという作品でいただいたんですが、これは、1週間単位の賃貸という、日本ではあまり浸透していないスタイルで住宅1棟を短期賃貸契約して借りるというソフトウェアの部分まで含めての受賞なんです。不動産的なスキームまでを含むということは、市場の規制力に対する応答の部分まで一体化したような提案です。西沢さんは建築の建築的規制力に対する応答だけを切り出して評価したいと宣言されているわけですが、僕はなんとか市場と建築の両方を結びつけたいと考えていて、必要ならばそこまで含めた提案としてまとめようとしている。もちろん建築が新しくなくて良いと思っているわけではないので、なんとか西沢さんの評価に耐えるところまで両立できるようにがんばりたいと思っています。
――外と見られていても、実は建築を支える基盤のひとつひとつに対して、突き詰めて考えていこうということですね。
吉村
そうですね。建築家のあいだでは外部と思われている、とあえて言いますが。市場や法、規範というのは、一般の方々には決して外部とは思われていないと思います。
2011年1月6日、吉村靖孝建築設計事務所にて収録。次回の【4】に続く
「CCハウス〜建築のクリエイティブ・コモンズ」展会場風景
以下すべて、写真提供=吉村靖孝建築設計事務所
以下すべて、Nowhere but Sajima,2009
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