イベントレポート
■講座趣旨:

インターネット、クラウドコンピューティングの劇的な社会への浸透により、現在建築と都市の姿も大きく変わろうとしています。かつて近代建築の中で実現されてきた「均質型」の空間は、より変化に富んだ「離散型」の空間へと変容をとげ、建築と都市のあり方、生活と住まいのあり方も、そこでふさわしいものへと変更を差し迫られています。本シンポジウムでは、情報化社会における建築の姿について長らく探求されてきた建築家・原広司と気鋭の若手建築家・柄沢祐輔のふたりが、情報と建築の未来について縦横に討議を展開します。
■出席者略歴

原広司
1936年生まれ。原広司+アトリエファイ建築研究所主宰。東京大学名誉教授。世界中の集落調査を基に数々の建築の設計を手がけている。

柄沢祐輔
1976年生まれ。柄沢祐輔建築設計事務所主宰。若手気鋭の建築家。アルゴリズムを提唱している。

■日時:2011年6月18日(土)
■場所:新宿NSビル16階 インテリアホール
■主催:ミサワホーム株式会社 Aプロジェクト室
■企画・監修:大島滋(Aプロジェクト室)
■モデレーター:富井雄太郎
チラシデザイン:刈谷悠三(写真:浦部裕紀)
 
東日本大震災による延期を経ての開催
大島滋
Aプロジェクト
Aプロジェクトの大島と申します。
今回のシンポジウムの企画を思いついたのは昨年12月のことでした。ご存知のように、北アフリカのチュニジアで一青年の焼身自殺があり、その後、多くの国で反政府デモがソーシャルメディアを媒介にして民主化のうねりとなっていきました。その展開はあまりにも早く、さまざまな事の成り行きを予測することができない時代にいることを強く感じました。
そして、東日本大震災においてもインターネットが大きな役割を果たしました。とりわけTwitterは発生直後から安否確認だけではなく、支援活動の広がりにも大きく貢献したと思います。ただ一方で、現地で実際に津波のすごさや怖さを知ることも大切で、そこには新聞やテレビといったメディアを通して見るのとはまったく違う緊張感があります。私もゴールデンウィークに石巻から松島、塩竈などの被災地を回ってきましたが、想像を絶するような建築物の壊れ方や延々と続く瓦礫の山を見て、魂が揺さぶられ、言葉を失いました。今日はそのような激動の時代に「建築に何が可能か」、そしてわれわれに何ができるかについて討議ができればと思っています。
本日はそうした内容にふさわしいゲストをお招きいたしました。
最初は建築界の大御所、原広司先生です。原先生は、1997年に東京大学生産技術研究所を退官されて今年で14年になりますが、今なおコンピュータ的頭脳と想像力豊かな子供心を合わせ持ち、現役で活躍されています。今さら私が申し上げるまでもありませんが、「住居に都市を埋蔵する」という理論や、自邸である「原邸」、そして「京都駅」、「梅田スカイビル」、「札幌ドーム」などの大規模な建築を実現されてきました。
もうひとりは新進気鋭の建築家、柄沢祐輔さんです。彼は、モダニズムの単純で均質な空間性にがんじがらめになり、建築の楽しさが忘れられかけている状況の中で、アルゴリズムという考え方を展開することで今までにない建築の可能性が開かれるという主張を持っています。若手の柄沢さんから、大御所の原先生と対談してみたいと言われた時は、私も少し戸惑いましたが、その敢然とした熱意を原先生が快く受け入れて下さり、本日のシンポジウムが実現することになりました。
そして、モデレータとして富井雄太郎さんをお呼びしました。彼は昨年新建築社を退職されて新しく株式会社を設立し、今日も会場で販売している『アーキテクチャとクラウド—情報による空間の変容』という書籍を発行されました。原先生と柄沢さんはその共著者でもあります。今日のおふたりによる議論は難解なものになると思いますが、富井さんには適宜軌道修正やフォローをしてもらって分かりやすく解釈していただこうと思っています。
それでは来場者の方々にとって本日の午後のひとときが有意義なものとなりますよう、これを主催者の挨拶と代えさせていただきます。
富井雄太郎
富井と申します。よろしくお願いします。
このシンポジウムは、去る3月12日に予定されていたもので、まさに東日本大震災の翌日でした。少しその時の個人的な状況をお話しすると、その前日の3月10日に海外から戻ったばかりで、ちょうど24時間後に地震があり、東京でもとても大きな揺れを感じました。Aプロジェクトの方からすぐに連絡があり、中止するかどうかという話がありました。当時は事態も混乱していましたが、数時間後には延期が決定され、再調整の後、本日を迎えています。
大島さんにご紹介していただいた書籍『アーキテクチャとクラウド—情報による空間の変容』ですが、ここで言う「アーキテクチャ」とは、もちろん建築という意味でもありますが、インターネットを始めとした情報環境内でのプラットフォームやソフトウェアの設計、また、さらに大きな意味で社会システムの設計なども含んでいるものです。先ほどチュニジアのジャスミン革命のお話がありましたが、もうひとつ最近の出来事として、Wikileaksによるイラク戦争の米軍機密文書公開、アメリカ外交公電の公開など一連のリークがあり、これも伝統的な意味での国家やメディアといったものを揺るがしています。そして、震災に伴う原発の問題も現在進行形で、改めてこれまでの社会システムのあり方が問い直されている状況にあります。
今日のシンポジウムのタイトルは「都市空間をせめぎあう情報と建築」ですが、以上のようなことも踏まえ、情報が実際の建築や都市をどう変えていくかという議論になる予定です。
まず最初に、おふたりそれぞれに基調となる講演をしていただき、その後会場にいらっしゃっている方々も交え、ディスカッションできればと思っています。
それでは、原さんからよろしくお願いいたします。
原広司
皆さんこんにちは、原です。
僕のこれまでの認識として、都市をつくるのは建築家だと思っていました。これは願望にも近いかもしれませんが、これまで長い間はそうだったと思います。ところがどうも最近は、情報が都市をつくっているのではないかという感じが強くします。このことについてはコンピュータが出てき始めた頃から危機感を持っていましたが、今は現実にいろんな現象が起こっています。都市は建築のサイドを離れていってしまっています。単純に言うと、「建築家は単純に箱だけつくればいい、あとは情報に任せろ」という状況になっています。
これまでの都市は本当に建築家の手によってできていたのかというと、やはりそう信じたいと思います。しかし、その時の建築家というものが、どう定義されるのかは難しいところです。かつて僕らが世界各地で集落を調べていた時に確信したのは、「自然発生的に集落ができている」という考えが間違いだということです。集落は非常に意図的に、建築的にできています。それは誰がつくっていようと建築的なのです。だから、建築的であるということは、必ずしも建築家によるものではないかもしれません。
そういう意味では、われわれ全員が都市に向かい合っていると言えます。しかし、現実としては、物理的な世界が情報の世界に押され気味であると思うわけです。
情報と距離の問題
 
今日お話しするのは「Casa Experimental Latin America」という南米でのプロジェクトです。最初にウルグアイの首都、モンテビデオでのシンポジウムの誘いがありスタートしたものです。それまで東京大学駒場キャンパスの計画などをやっていて、なかなか身動きできなかったのですが、ちょうど大学を退官し、ほっとしていた頃でした。モンテビデオへ行こうと思った理由はいくつかあります。東京から見るとちょうど地球の反対側にあり(厳密に言うと少し海の方にそれます)、それまであまり知らなかった場所ですが、その「反対側」というのがよいのではないかと思いました。今日に至るまで、世界で最も物理的な距離が遠いところとコミュニケーションをしながらどういう活動ができるか、ということの実験をしてきました。
情報と建築の問題の捉え方はいろいろありますが、僕は「距離」の問題として捉えています。たとえば時間距離で言うと、電話やSkypeを使った会議では相手が隣にいようが地球の反対側であろうが、どこにいても同じです。それに対して、建築家に限らずわれわれはいつもフィジカルな世界で、距離との戦いがあります。"Discrete"とは、どんなに近くても遠くても、等距離にあるという概念ですが、一方、生身の「身の回り」を考えているわれわれとしては一体どういうことができるのか、「コミュニティ」はどういう意味を持っているのか、そのようなことを考えています。
僕は近代建築の言う「コミュニティ」の概念には疑問を持っています。皆さんご存知のように、20世紀に最も影響力があった宣言のひとつに、アンドレ・ブルトンによるシュルレアリスム宣言があります。その中の「手術台の上のミシンとこうもり傘」という引用は、ミシンが本来あるべきところではなく手術台の上にあり、こうもり傘という関係の遠いモノと理由もなく突然出会ってしまうことを問題にしました。それはある意味で、「距離」や「コミュニティ」の問題とも言えます。
この引用元になった「マルドロールの歌」を残したロートレアモンは、若くして死んでしまった天才ですが、そのモンテビデオの出身です。僕は知らなかったのですが、ある時、突然彼が住んでいたアパートを紹介されました。筆名である、ロートレアモン(Lautrémont)とは、スペイン語の"otro Montevideo"、つまり「もうひとつのモンテビデオ」から来ています(注:ウジェーヌ・シューによる1837年の作品『ラトレオーモン』(Latréumont)に由来するとも言われている)。彼は少年期をモンテビデオで過ごして、フランスへ行きましたが、筆名として「わが懐かしいモンテビデオ」というようなニュアンスを込めたのです。そして、シュルレアリストたちが「マルドロールの歌」の詩的な言葉から「手術台の上のミシンとこうもり傘」を探し出し、それがシュルレアリスムの旗印になりました。関係が切られたものの偶然の出会いによってあるメタファーが出てきて、それが芸術の表現の源になるというのが基本的な考え方です。今となってはそういったことが日常茶飯事に起こってきています。国外に追放して市民権を奪うというような、本当にシュルレアリスティックな事態も現実に起きていますから、それが未だに何かメタファーを生むのかというのは疑問です。
しかしここで重要なのは、近代建築の機能主義(ファンクショナリズム)、機械の部品同士のようにしっかりと関係を結ぶのではない、ということです。

そろそろ具体的な話に入りますが、これらのプロジェクトは学生や若い建築家と一緒にやりました。このプロジェクトを始めた理由はふたつあります。ひとつは、1970年代にやっていた集落調査の時にインディオの集落に見出した"Discrete Village"、つまり「離散型集落」と呼んだようなあり方が、南米の人たちにとってのあるアイデンティティになるのではないかと思ったからです。そしてもうひとつは格差社会です(最近驚いたのですが、今はペルーよりも日本の方が格差が大きくなっているようです)。南米には、ファベーラに不法占拠で住んでいる人が5〜30%いて、少なくともそこに住んでいない人たちとの格差は明らかに大きい。そこで、現地の学生たちと「その人たちのことを考えた方がいいんじゃないの」という話をしました。これは非常に難しい問題で、大きな社会的な矛盾に対して建築は何ら手を出せないところもあります。しかし、そういう人たちの家を自分たちでつくってみようということです。
地球上、最も距離が遠い場所での実験
 


これはポスターです。ランダムに並べているのですが、要するにすべての人がひとつずつタワーを持っています。





これはメキシコのMalilaという集落で、離散型集落の典型としていつもスライドを見せているものです。いわゆるコミュニティらしくない集落です。痩せた土地なので、家々の間は畑だか何だかよくわからない休耕地になっています。コミュニティというと「最後まで互いに面倒を見る」という感じがしますが、このように貧しくて自然が厳しい状況では、生産を共有する場合もありますが、3年間休耕する時には、「みんな勝手に生きようじゃないか」という選択をせざるを得ない。中世以来のコミュニティや共同体とは違ったあり方ですが、重要なのはそれらを否定するわけではなく、「含んでいる」ということです。





南米各地で実現したものはこういった位置関係にあります。
どれも似たような形をしていますが、それぞれが多少違ったシリーズになっています。





プロセスですが、まず"Discrete"という概念はどういったものなのかを手紙で知らせます。そして、どういう家を建てようかという交信を続けます。自分たちでつくるために、部品をある程度つくっておいてから組み上げる、プレファブに近いものです。プレファブよりも優れているのは、サッシを自分たちでつくることと、屋根を防水のテントでつくることだと思っています。







これはモンテビデオで実際につくったモデルです。ここの知事がモンテビデオ国立大学の建築学科の教授で友人だったので、市庁舎の正面広場の前に建てたいと頼み込んで実現しました(笑)。2カ月で壊してしまうので、それほど耐久性のあるディテールではありませんが、本気になって考えなくてはいけないと思っています。
構成は3.6m角の2階建てで、手前から子ども、女房、旦那の塔が3つ並んでいます。女房と旦那の塔の間にブリッジが掛かっていますが、現地の女性たちは「子どもの塔との間につけるべきだ」という話をしていました(笑)。







次はアルゼンチンのコルドバです。アルゼンチン第二の都市で、チェ・ゲバラはコルドバ大学を出ています。ここでは建築法規を守っていないので、街の人たちが自由に入ることができない、ということで現代美術館の庭に建っています。3階建てに挑戦していますが、編成はモンテビデオの時と同じです。





最初は手紙をやり取りしていましたが、これは設計していたメンバーでSkypeを使って会議をしているところです。メンバーには、現地の大学教授、事務所のスタッフ、ふたりの立命館大学の女性、アルゼンチンから来ている留学生などがいて、それらを繋ぎます。
うまくいくのはなぜかと言うと、このアナという女性がいるからです。コルドバの時に手伝ってくれたのですが、英語とスペイン語の同時通訳ができ、司会もできます(議論の内容はいかに3万ドル以下でつくるかというコストのことばかりです)。実はSkypeのような道具立てがあったとしても、アナのようなパーソナリティがいないとなかなかうまくいきません。 施工は、南米各地でこのプロジェクトを通して知り合った人たち、つまり隣人が互いに助けに行きます。







これは去年暮れに建てたボリビアのラパスです。赤外線直下で標高3,600mのところで、非常に暑いところです。奥に見えているのが標高4,000mのアルティプラーノ(高原地帯)で、低所得の人がひしめき合って住んでいます。ここにはコロンビアの男性が手伝いに来てくれました。構造は金箱温春さんがボランティアで見てくれています。





これは、このような都市をつくることができるだろうという構想のパースで、たとえば「札幌ドーム」の中にこの住宅を並べたものです。
ひとまずスライドは以上です。
僕は、都市を情報の世界から奪回しなくてはいけない、という意識を持っています。今日はそのような問題提起という意味で南米のプロジェクトの話をしました。では、これでバトンタッチをしたいと思います。

次回[2]へ続く。
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