イベントレポート
■講座趣旨:

今年は戦後70年を迎え、昨年から各地で戦後建築の企画展が開かれている。
また、東北大震災から4年余りが経過して、徐々に復興住宅が建ち始めてきたが、あまりのスローペースに地元民の苛立ちがヒートアップしている。
そして、今東京では、2020年の東京オリンピックのメイン会場となる国立競技場をめぐって、様々な物議がかもし出されている。また、23区内のあちこちで再開発が行われているが、組織事務所とスーパーゼネコンが攻勢をしめて特長のないビルがあちこちにできている。六本木も虎ノ門も京橋も池袋もつまらないまちばかりだ。
グローバル時代といわれる中で、アジアにおける台湾、中国、さらに香港、シンガポールなど思いっきり建築を楽しんでいる国々の建築と比べるとあまりにつまならすぎる。
こうし時代が急速に変化している中で、我々建築に携わるものにとって目指すべき建築とはどんなものなのだろうか。今回のシンポジウムは世界で活躍する田根剛さん。そして、新しい建築の可能性や住まい方を提案している高橋一平さんと成瀬由梨さん。三人の若き建築家ををお招きして、三人の過去の建築に対する考えや過去の建築をどのように取り入れながら、自分たちの建築に引き継いでいるのか、これからの時代の建物を作るために進むべき道のヒントが獲られるシンポジウムになると期待しています。

ミサワホーム株式会社
Aプロジェクト室 室長
大島 滋




■日時:2015年7月17日(金) 19:00〜21:00
■ゲスト: 田根剛×煖エ一平×成瀬友梨(モデレーター)
■会場: 新宿NSビル16階インテリアホール
■主催:ミサワホーム株式会社 Aプロジェクト室
■企画・監修:大島滋(Aプロジェクト室)
リーフレット
 
■出席者略歴

田根剛
建築家。1979年、東京生まれ。2006年、パリにて建築設計事務所DGT.をダン・ドレル、リナ・ゴットッメと共に設立。代表作に『エストニア国立博物館』(2016年完成予定)、新国立競技場国際設計競技案『古墳スタジアム』(2012)、『LIGHT is TI ME』(2014)、『A HOUSE for OISO』(2015)など。フランス文化庁新進建築家賞(2008)、ミラノ・デザインアワード2部門受賞(2014)など多数受賞。現在、コロンビア大学GSAPP講師・ESVMD講師。

煖エ一平
建築家。1977年、東京都生まれ。2000年東北大学卒業、2002年横浜国立大学大学院修了、2002年西沢立衛建築設計事務所勤務(〜2009)、2009年煖エ一平建築事務所設立。2011年横浜国立大学大学院Y-GSA設計助手、現在助教。 2015年東京建築士会住宅建築賞、2014年Design for Well-being Award, Alliance for Healthy Cities Hong Kong, WHO、2014年AR+D Awards Highly Commended, Architectural Review, UKなど多数受賞。

成瀬友梨
建築家。1979年生まれ。2007年東京大学大学院博士過程単位取得退学。2007年成瀬・猪熊建築設計事務所共同設立。2009年から東京大学特任助教。2010年から同助教。地域・ライフスタイル・コミュニケーションという観点から建築を考え、シェアをキーワードに設計を行う。主にシェアハウス・コワーキングスペース・イノベーションセンター・福祉施設・などを手がける。代表作に「FabCafe Tokyo」「LT城西」「柏の葉オープンイノベーションラボ(KOIL)」「りくカフェ」など。主な著書に、『シェアをデザインする』(共著)。主な受賞に2015年日本建築学会作品選集新人賞、2014年 Best of Asia Pacific Design Awards Winning Projects 最優秀賞

<田根さんプレゼンテーション>

アーキテクチャーとアーキオロジー
田根
2006年からフランス・パリを拠点にDGT.をはじめました。イタリア人のダン・ドレルとレバノン人のリナ・ゴットメとパートナーを組み、現在は20名程度の国際的なメンバーでプロジェクトを進めています。
「アーキオロジー(考古学)の未来」ということを考えています。20世紀の都市では、ニューヨークに象徴されるように、近代技術、近代生活、近代建築によってこれまで類を見ない程、世界中の至るところで「ビルディング」という建築のタイポロジーが垂直に乱立しました。また、水平に都市が拡張し続けることにより、都市とも地域とも属さない「郊外」という地域が生まれはじめました。20世紀という時代には、建築を建てるための場所性が忘れられ、空間のみが量産され続ける事態が起こったのではないかと思っています。一方、何もなかったはずの地面を掘り下げていくと、そこには生活の痕跡が残っています。アーキオロジー(考古学)は場所を掘り下げることにより、場所の過去を発掘していくこと。アーキテクチャー(建築)は、場所の未来を積み重ね、構築していくことではないかと思います。場所の過去と未来をつなぐこと、そのために私達はプロジェクトのはじまりに必ずリサーチをおこないます。これは「場所の記憶」を掘り下げることで、様々な思索や発見をもたらしてくれます。建築を考える上での思考の基礎を鍛えること、過去を系統立て、研究し、再編成していくことにより、場所の記憶を現代に構築するように考えていく作業です。
エストニア国立博物館
 
《エストニア国立博物館》は、2005年末に国際コンペティションが開催されました。1991年、ソ連の崩壊とともに独立したエストニアでは、自国のアイデンティティーを築くための公約としてナショナル・ミュージアムの再建が約束されていました。場所はタルトゥ市というエストニア第二の都市です。コンペで選定された敷地は1909年に6人のエストニア人が集まり、当時はドイツ領事館となっていた建物を利用してコレクションを展示した場所で、そこがナショナル・ミュージアムのはじまりでした。敷地は広大な森と湖に囲まれた地域です。しかしながら、敷地写真の一部がどこか消しゴムで消されたかのようになっていました。不思議に思い調べてみると、巨大な滑走路が横たわり、これがソ連時代につくられた空軍基地だと分かったのでした。そこでこの「負の遺産」となる軍用滑走路とエストニアの「アイデンティティー」となるナショナル・ミュージアムを、ひとつの建築としてつなぐことを思いついたのです。

メインの展示室には氷河期から現在のエストニアまでの歴史を展示し、時の回廊としての展示室としています。テンポラリーのスペースや展示室があります。ファサードはガラスで一面覆う予定です。エストニアの5つのシンボルを構成しながら、ガラス面に民族の記憶を刻むようなファサードになっています。それがランドスケープの映り込みによって変化していく表面です。

《エストニア国立博物館》敷地空撮
© DGT.

施工中の《エストニア国立博物館》
© Arp Karm (ERM)
新国立競技場
 
次に紹介するのは《新国立競技場案》です。タイムリーな話題になってしまいましたが、2012年に開かれた国立競技場建て替えのコンペティションでした。日本にオリンピックを招致するために、日本に唯一つの次世代のオリンピック競技上をつくりたいという非常に魅力的なコンペでした。世界中に応募が開かれましたが、その参加資格が物議を醸しました。プリツカー賞、RIBA、AIAといった世界的な賞のゴールドメダリストしか応募できないというものでしたが、隅々まで読むと、15,000平米、14,000人以上のスタジアムの経験があれば参加していいと書いてある。それを見て、急いでフランスの経験ある事務所に連絡をとり、一緒に参加しないかと声をかけました。
スタジアムの起源はギリシアにあります。山を掘り込んで、自然を切り開くことで人が集まる場所をつくっていました。建設をして建物をつくるというよりは、場所を自然の中に埋め込んでいたのがスタジアムの起源です。だけど近代化によって都市部に人口が集中すると、交通の問題や避難の問題でスタジアム建築は郊外に追いやられていきました。そのことをふまえて、明治神宮外苑の歴史から場所の意味を掘り下げながらそこに建つべき建築はどんなものかと考えました。
東京の航空写真を見ると、明治神宮内苑や、御苑、赤坂の御池、そして皇居など、意外にも中心部には巨大な森がひしめき合っていることに気づきます。非常に不思議な都市的性格をもった都市だと言えます。そこに日本最大の古代建造物である古墳を、現代最大のスポーツの祭典であるオリンピックのための建築として構想できるのではないか、という仮説を立てました。同時に古墳はピラミッドと同じくらい面積的には大きなものであるにもかかわらず、世界的にほとんど知られていません。日本には3万個以上古墳があるのにほとんど忘れられた場所の記憶になっている。それを東京のど真ん中につくることによって、東京の森を連続させるようなことができないかと考えました。森であり山であるような、巨大な古墳をつくるという提案です。ある一部を開放して頂上まで昇れば、東京を360°展望できる展望台ができあがる。断面は建物を掘り込んだスリバチ状のものです。地下にさまざまなプログラムが入って、スリバチ状の観客席がそれを覆うように山ができ上がるという構成です。同時にただ自然を作るのではなくて、エネルギーの問題や資源をリサイクルできる仕組みも考えました。
ラスト11組に選ばれて、もしかしたらいけるんじゃないかと興奮したこともありましたが、結果ザハ案に決まってしまいました。

《新国立競技場案》スタジアム全景
© DGT.

《新国立競技場案》スタジアム内観
© DGT.
A House for Oiso
 
最後に紹介するのは、つい先日完成した大磯の住宅《 A House for Oiso》です。東海道の脇を横切るような不思議な敷地でした。初めての個人住宅の設計だったので、家とは何か、人が住むとはどういうことか、人が家をつくることはどういうことか、もういちど一から考え直しました。ひとつの答えとしては、家とは眠りに帰る場所だと言えるのではないか。人が安心して家に帰り、安眠できる場所、安らげる場所に家の原型があるのではないかと考えました。
調べてみると、人の生活の中には古来から「居間と寝間」という考え方がりました。古来の民家も江戸時代の町家も、一階部分は商業をして人が行き交う場所で、二階に寝る場所としての寝間があるという構成でした。大磯という地域が縄文時代から弥生時代にかけて人が暮らしていた場所であることがわかり、さらに中世から江戸時代の町家も残っていたり、昭和の邸宅建築があったり、人類が途絶えずに暮らしてきた痕跡がありました。これらをひとつの建築にまとめることが、このプロジェクトのコンセプトでした。同時に、模型をスタディしながら疑問に思ったことは、建蔽率の問題でした。この土地は建蔽率50%。つまり50%は建物を建ててよくて、残りの50%は解放しなければならない。敷地の中に50%の占有率であれば、どこにでも配置していいという法律です。するとある人は敷地の角に建てたり、ある人は敷地の真ん中に建ててもいいということになる。結果として街並みは非常にバラバラな風景ができあがってしまう。日本の都市風景がなぜこれだけちぐはぐなのかを考えるとき、この建蔽率の問題は大きいと思います。
そうした状況で、《A House for Oiso》では、住宅が土地のために何ができるのかということを考えました。House “in” Oisoと言えば敷地のなかに建つ家ですが、House “for” Oisoとすることで、住宅がこの土地のために何ができるのかというテーマを設定しました。構成は非常にシンプルで、土壁でつくった一階ヴォリュームに木の箱の「寝間」が乗っています。一階には四つの大きな部屋があって、中央に「居間」があります。中に入ると敷地の高低差に沿って、だんだんレベルが上がっていくのですが、前室、台所、浴室、和室があり、それぞれの間に庭が5つある。 その上に寝間が乗る構成です。離れの和室は将来子供部屋として使うことを想定しています。クライアントには小さい子供が3人いるお施主が、子供室はなしにしてもらいました。子供室をつくると、子供が大きくなって家を出た時に物置のようになることが多いんですね。そうすると家の中にひとつ死んだ空間ができてしまう。それがあまり好きじゃなかったので、上に寝ながらも、子供が育ってきたら和室をつかって下宿のような生活をしてもらえば、数年乗り越えられるんじゃないかと、お施主さんにも理解をしていただいてできた和室です。二階に上がると突然木の空間があります。合板を曲げて角を落としているので、角のない柔らかい空間で木に包まれます。近代建築であまり使われなかった「曲げる」や「引っ張る」という言語を使ってひとつの空間をまとめました。

《A House for Oiso》
© Takumi Ota

《A House for Oiso》
© Takumi Ota
場所の記憶、時間と空間
 
さまざまなプロジェクトを進めていく中で自分たちが大事にしていることは、「場所の記憶」と「時間と空間」です。場所と空間は、場所が空間になったり、空間のどこが場所と呼べるのか、非常に曖昧で定義ができない。一方で、時間と記憶というものも、いつどの時間から自分たちは記憶を得て、記憶はどういう時間感覚で生まれているか非常に曖昧な部分がある。その中で自分は、「場所」はシンギュラリティ(単一)としてたったひとつしかないもの、「ここ」という感覚や他の場所に移すことのできないたったひとつであるもの。「空間」はインフィニティ(無限)だと思っています。空間は都市のように空間を分割してどんどん増やすこともできるし、ビルを高くすることもできる。分割や増殖ができるものが空間の特性だろうと。もうひとつ「時間」はコンティニュイティ(継続)です。時間は絶対に途切れることのないもの。ただし近代化において近代建築は継いでいく時間を途切れさせて、まっさらな新しいところに新たな建築をつくっていこうとしたひとつの運動だととらえています。最後に、「記憶」はミーニングス(意味)だと思っています。過去の意味が次の文化に受け継がれ伝えられたときに、その場所の意味や記憶が人類にとっての意味であり、物質を失っても意味が残るからこそ記憶が受け継がれていく。そしてその全ての中心に建築がくる、この四つの概念を統合したときに生まれるものが建築ではないだろうかと考えています。
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