イベントレポート

<ディスカッション>

建築がもつ普遍的な価値をどう伝えていくのか
成瀬
ありがとうございます。お二人に共通するのはある種の普遍性を考えていることだと思います。田根さんは普遍的な「土地の記憶」から建築を考えることを思考していて、髙橋さんはつくる建築そのものが持つ普遍性を追及されている。
今建築をつくるときには、住民など周りの意見をいかに取り込むかが求められます。新国立競技場をめぐる議論でも、国民が考えていることを盛り込まなければ、という論調もある。一方で、今生きている人の今欲しいものが要望として上がってくることに対して、建築家として関わる場合は、もう少し長いスパンで投げかけをしていかなければならないのではないかと感じています。いろいろ出てくる意見をうまいこと乗りこなしながらも、自分が遠くを見据えて考えていることをどう相手に伝えていくのか。このことについてお二人はどのように考えているのか、議論していけたらと思います。
髙橋
《七ヶ浜町立遠山保育所》はまさにそういう問題を孕むプロジェクトでした。被災地だったこともあって、切実な要望は原則ひとつも断らないで全部やりました。もちろんこちらから提案も積極的に行っています。でも、そういう姿勢は震災直後でなくても同じだと思っていて、これから先の時代はきっと住宅でも公共建築でも一緒なのだろうと思っています。だけど、機能性や社会性や経済原理といった、そういうことだけで建物をつくってしまうと、それがなくなったり変わったときにその建物は要らなくなってしまう。建物に機能や性能しか見出されないと、壊されて、日本は歴史の蓄積が感じられない国になってしまう。建築は歴史性という意味での客観的事実として、説得力のあるものだと思っています。機能性や社会性よりも普遍的な価値があって、もちろん表現領域も含まれますが、そうしたことを建築づくりとして、同時に提案して調整いくことを大事に考えています。他方、要求や設計している時の状況を活かして、プロジェクト毎に建物の個性に使えるものが何だろうか、ということも毎回考えようとしています。自分のスタイルを固めていつも同じに見える建築ばかりつくるのでは時代に合わないし、そういうやり方では建築の歴史を更新していくこともできない、という想いが当然あります。この保育園の場合、広い中庭と背が低い建物ヴォリューム、という二つの特徴がありますが、このアイデアによって全体を調停しながらも建築的な役割を位置づけたいと考えました。そうするといずれ保育園が必要ない社会になっても、老人施設や公民館や野外劇場などとしても、少しだけ手を加えれば使えるような建築になります。広い中庭は、東京でいうところの皇居にあたる、いわゆる空隙です。東京の街はごちゃごちゃしていますが、皇居のお陰で個性が保たれていると思っています。
田根
個人クライアントではなく、多くの人が関わるプロジェクトのときには、まずリーダーを捕まえることをいつも心がけています。リーダーシップを取れる人が良いことを言うし思いも強い。思いが強いからこそぼくらは形にできるので、思いが強い言葉をいつも探すようにしています。強い言葉には責任が発生するので、言った本人の思いがリーダーシップとなり人をまとめる力にもなる。その人の言葉を捕まえたり、この人がリーダーだなと勝手に見定めて、その人との対話を重視していくことでまとまりが出てくる。建築家という職能は現場をまとめたり、業者をまとめる中でリーダーシップが求められる職業なので、リーダーとリーダーがしっかり話をすることが良い建築につながると考えています。思いを形をしてくことが建築家の仕事だと思っています。
意見が対立した場合は、放っておくという方法をとっています。建築の場合、幸いプロセスが長いので、基本設計で意見が合わなくても、とりあえず受け入れて形にしていくんだけど、半年くらいたったときに再提案するとすんなり通ったりするので、作戦としていちど寝かせて後で提案するようにしています。
成瀬
実は私も田根さんと同じ戦法をとっています(笑)。たくさんの人が関わるプロジェクトでは、クライアントサイドの意見がものすごく多様で、対立していることが多い。複数の案を並行して動かしておいて、半年くらい経つとクライアントの意見が変わるんですよ。そこで対話を根気強くつづけていくと、一番良い方向に案が淘汰されていくことがあって、半年前あんなにこだわっていたのに忘れてるんだなあ、と思うことがあります。そうしてうまくまとまっていくことが多いですが、対立がある時には、やっぱりその場所についての価値観を私たちの方から提案して分かってもらうというフェーズが必要な時がありますね。上位にある価値をうまく提案できればいいなと常々思っています。髙橋さんの保育所はそういう意味で鮮やかな提案だと思います。
田根
保育所のプロジェクトでは、言われて困るような要望はなかったのでしょうか?
髙橋
基本的にはなかったですね。むしろエキサイティングでした。自分のつくっているものがどうなるか分からない。どうなるか分からないものを想像することは刺激的でした。分かっているものをつくるのはあまり面白くないじゃないですか。一度想像して自信を持ったことを定着させていくだけだとプロセスが事務的になっていって、スタッフやよその人にイライラして迷惑をかけるだけなので。逆に言えば、事務所スタッフや発注者や関係者の方の事情を面白いものとしてとらえて、建築をつくるときにはそれを面白がって変えていく方が、自分としては創造的なのではないかと今では思うようになりました。
成瀬
保育所のプロジェクトでは、広い中庭は絶対に変えないという髙橋さんの指針はあるわけですよね。
髙橋
もちろん最初に提案しているのは僕ですが、周囲の方にもこれについては変えないでいこうという空気が生まれたんです。提案の主軸がコンペを通過しているということも大きいと思います。
田根
コンセプトって強くて、それは信じてもらえると思うしかない。そこを疑いだすと全てが成り立たない。互いに「これはいいよね」と思えるものには必ず意味があるので、その意味を見出したときには形になるし、ただの個人的な思いみたいなものは、時間とともに淘汰されていくんだなと、お二人の話を聞いていて感じました。
成瀬
《エストニア国立博物館》のコンペでもいろいろな条件が入ってきたと思いますが、「滑走路」というキーワードが共有されていたことは大きかったのでしょうか?
田根
そうですね。設計当時は20代だったので、クライアントの意見をまとめる力が足りなかったと思います。要望を形にできなかったり、クライアントがこうしてくれということに対して従わずにかなり怒られたこともありました。そういう経験をしながらあるとき思ったのは、コンセプトさえあれば、あとは使いやすい方がいいんだと。デザインは時間や時代によって変わっていっていいんだけど、コンセプトは時代を超えて伝えていく意味になっていくので、そこが変わらなければ仕事として、建築として残っていけるだろうと腹をくくりました。10年後使いにくいからこの壁を取りましたと言われても、その建築は死なないだろうと思っています。過去の建築を見ていくと編集可能なんですよね。ノートルダム寺院も10数回も壊れたり建て増ししたりを繰り返しています。それでも人がそこに教会として求めているものは変わらない。それがやはり建築の力なんじゃないか。
困難に直面したときにプロジェクトは面白くなる
質問者1
市民やクライアントの意見と対立した場合、とりあえず寝かせておくのがいいというお話でした。たとえば外部の意見を受け入れたことでよかったことの具体例と、設計者の外の目によってプロジェクト全体に与えた良い影響の具体例があれば教えてください。
田根
ひとりの人間が考えることよりも、多くのアイデアが出てくる方がいいですよね。アイデアは100でも200でも良いけれど、ただしコンセプトはひとつです。たとえば《House for Oiso》ではかなり予算が厳しかったので、当初は土壁がやりたかったんだけど木で代替案を出したことがありました。そうしたらクライアントに「それじゃ意味ないじゃん」と怒られました。逆にそれで勇気づけられたところもあります。やはりコンセプトが崩れると、クライアントも欲しいものが変わってしまう。クライアントもいいと思っているものは絶対にそれを守ろうとしてくれるし、そこは毎回のプロジェクトで学ぶところですね。そういう意味では、最後にかたちになるときにはコンセプトの強度が大事なんだと思います。
髙橋
ぼくはかなり建築の形式性を重んじています。その形式性が、建築家だけがつくったものではなく、周りも取り込んだ形式性だと面白いのではないかと考えています。自分だけでやるとどこか脈絡のないものができてしまいますが、要望や社会要求を回収できるような形式をつくりたいと思っています。だから、途中で形式自体を変えていく、ということもやっています。
もうひとつは自分が最初に思いついたことをまとめていく作業が最近あまり好きじゃなくて、プロジェクト進めながらどこかで、いつか破綻しないかなと思っているんです。大事件がおきたときに人の結束が強まってプロジェクトが強くなっていく。あまり議論を繰り返していない建物はなんとなく見ると分かるようなところがあると思うんです。例えば、ブルジョアが建てた個人住宅って美学が貫徹されていますが、それだけではあまり面白くないと思うし、これからはそういうことは難しいのではないか。
田根
プロジェクトって矛盾に直面した瞬間や危機的状況になった瞬間にぐっと上がるんですよね。これは不思議なことで、何かがうまくいかなくなったときに全員の共有意識が生まれて、建物も違うレベルに行ける瞬間が必ずある。それを見逃すと他愛のない建築になってしまう。そこをキャッチできるかは建築家にとってすごい重要な感覚ではないでしょうか。
質問者2
コンセプトが共有される空気感がかもし出されるような、コミュニケーションの取り方のコツがあれば教えて下さい。
成瀬
コツがあったら私が知りたいくらいですが……(笑)。まちづくりを直接やったことがあるわけではないですが、やはり時間をかけて対話をすることが基本にあると思います。その中で、直接自分たちのプロジェクトについて議論をし過ぎないことは気をつけています。参考になるものをたくさん持ってきて、それに対して良いところと悪いところを意見してもらいます。好きなイメージを集めてきてもらうとか、こちらが用意した参考例に対して良し悪しを意見してもらう。その意見を実際につくるものに対してフィードバックさせていくと、あまり対立しないで皆が冷静に考えられるところがあるのかなと思います。
髙橋
確かに受け手の人たちの想像力が膨らむようなことは、方法として必要かなと思いましたね。
成瀬
東北の被災地にコミュニティカフェをつくったときは、運営するお母さんたちが他の事例を何も知らないので、他のカフェやスペースの見学ツアーを組んで一緒にまわりました。そうすると皆さんインプットがあるので、「だったら自分たちはこういうものが欲しい」と、言葉が出てくるようになる。
街にたいする建築の現れ
成瀬
保育所や博物館というパブリックな建築に対しては、それがどう立ち現れるかに意識的になると思います。一方で個人住宅を設計するときに、それが街からどう見えるべきなのか、街に対してどう貢献できるのかについて、お二人はどのように考えていますか。
髙橋
《Casa O》の場合、施主はどちらかというと都市という匿名的な環境を利用して、都市に隠れたいという人たちでした。なので逆にそういう木造密集地の中を歩いて古家付きの土地を探して、新築にすると既存の古家よりも法規的に小さく建てなければならないことや、そのような街のなかで、一つだけ新しい家があると目立つのでリノベーションにすることにしました。この街にも60年余りの歴史があるので、その歴史を感じさせる古家をリノベーションすることによって、外観は歴史であるとしてそのままにする代わりに、中は全然ちがうものをつくろうと思いました。
今進めているプロジェクトは交差点にあるので、逆に、街が変わるような家にしたいと思います。しかし、街との関わりをどう考えるにあたっては、プロジェクトの状況によるのではないでしょうか。たとえば内向的な人に開放的な家をつくりましょうといってもフィットしませんよね。
田根
公共をはじめ多くの人が関わる建築は、建築家とクライアントが互いに前を向いて進んでいける。でも住宅の場合はマンツーマンで欲しいものとつくりたいものがぶつかり合う。そういう中で街からの建物の見え方はリサーチを通して見つけるものであって、環境が変われば建ち方も変わるべきだと考えています。だから都会の住宅と街の住宅は土地に合わせて変わっていいんじゃないか。ただその建築によって都市や街の質感がどう現れてくるかはすごい気にしています。
成瀬
私たち建築家は、街区全体に対して建築がどう寄与できるかについて考えますが、家を買う住人たちは、その街区全体がどうなったらいいかなんて考えない。どう住人たちにこの価値を伝えていったらよいのでしょうか。
田根
住んでいる人はあまり外観は気にしないところはありますよね。パリだと街が先にあるので、アパートを借りて住んでいる方としては住み心地が重要で、その建物がどう見えるかは意外と重要じゃない。そのときに外観をつくる建築家側から、都市問題や環境問題をどう考えていけるかは重要だと思います。
成瀬
わたしも同意見で、打ち合わせをしていても、外に対する意識はほとんどなくて、どう内部が外から見えるのかばかり気にしている。そのときに街並に対してどういう建築がそこにあるべきなのかは、建築家である自分たちが一番考えなければならないんだなと、いつも思いながらやっているところがあります。
今9世帯のコーポラティブハウスを設計しています。9世帯が集まって、9世帯のインテリアの設計が並行して進んでいるんですが、外観の設計も並行して進めていて、その時に9世帯が合意する外観をつくっていかなければならない。そこで「この場所にどういうものが建ったらいいですか?」と投げかけて考えてもらうワークショップを始めました。投げかけをすると意外と返ってくるもので、土地の歴史を調べてきてくれる人や、街の素材をサンプリングしてきてくれる人がいました。それをインプットしながら外観の設計をしています。
田根さんからパリの話を聞いて、外観に関心を示さないのは日本だけじゃないなんだと驚きました。日本人が街並みに対して意識的じゃないことはよく言われますが、日本に限ったことではないようですね。
田根
ヨーロッパ人の意識に共通しているのは、自分たちの意見で街を変えてはいけないということが原則としてある。建物の外側は街のもので、内側は自分たちのもの。公共性と私的なものがはっきり分かれている。勝手に外壁に色を塗ってはいけないし、そこは市がコントロールしている。その時代の自分たちの経済や感情だけで勝手に変えてはいけない文化的・社会的なルールがはっきりあるのは大きな違いです。
髙橋
ということは、やっぱり外観を気にしているんじゃないですか?気にせざるを得ないというか。守らなければならないという厳格な意思によって保たれているだけで、意識はしていると思いますね。
田根
フランス人は自分たちの目の前にある建物に対してすごいうるさいんですよ。ヴィジュアル・ポリューションだと言って訴えたりもします。自分の建物がどう見えるかということは意外と議論になりにくいというのはありますね。日常の中にあるから見えてはいるんだけど、どう見えているかが問題です。たとえば「この建物かっこいいから住みたい」と最初は思っても、それが日常化していくとだんだんその意識は薄れていく。
近代建築の限界とこれからの建築の可能性
質問者3
最近の商業建築は、私から見ても全部同じで面白みがない。おそらく近代合理性が根っこにあって、それが建築や企業に影響しているのだと思います。一方で建築には時代思想を反映させる側面がありますよね。これからの時代思想を引っ張るような建築は、今出てきているのでしょうか?
田根
なぜ近代建築がつまらなく見えるかという話ですが、近代建築のつくられ方が中世のつくられ方と近いからだと思います。中世は人工的に街並が統一された街で、ヨーロッパでも日本でも美しさを常に守っている。それらは基本的にコピー・ペーストでつくられてきたわけです。職人がその土地に生まれて建物をつくっていくときに、積み重ねられたピースをリピートしていくからこそ、統一された街並みでありながら、それぞれが少しずつ違うという個性を出していくことができるので、中世の街並みは素晴らしい。近代建築もそこは似ていますが、決定的に違うのは、手でつくられるか、機械でつくられるかです。建築は時間とお金の制限のなかでのものづくりなので、機械化され合理化された現代では、どんどん人間味がなくなっていかざるを得ない。
そこでこの近代が終わった時代に何が起こるかというと、やはりバロックのような時代じゃないかと思っています。様々な価値観や概念、新しい試みや失敗が出てきているのは、この近代建築以降のあり方です。本流の存在しない、ハイテクもあればエコロジカルもあり、ローカルなものもあればグローバルなものもある。それらがどのように淘汰されていくかは歴史家ではないのでわかりませんが、その中で自由な建築をつくるために一生懸命可能性を探していきたいと思っています。
髙橋
近代建築と言われる建築が建ち始めた最初の頃は、今よりも圧倒的に自由で面白かったことが写真を見るだけでも伝わってきます。コルビュジエが出たとき、ミースが出たときは面白かったはずです。近代建築というより近代をなぞった現代建築の方であって、今建っているそれらがつまらないとしたら、それはつまらないつくり方をしたからではないかと思うようになりました。自分の経験を通して考えると、おそらく発見がないことだと思います。知識や経験は頼りにならないものだとぼくは思います。建築家の主義主張が僕らには「建築とはこういうものだ」という教育的なメッセージにどうも見えてしまい、脅迫されて不自由に過ごしてきた節もあります。でも、発見的なことをやったほうが良くて、学び過ぎているうちは新しいものは絶対できない。そういう意味で住民参加は、他者が絡んできて自分に対して変化を起こしてくれるというのは、他力本願的ですが自分にとってはショック療法の一種だったと思います。
あとは自分の感覚で面白いと思うものを見つけてきて、それをどう建築にできるかを考えることが突破口になるんじゃないかなと思うんですよね。今は建築家の建築にだってつまらないものはたくさんありますが、それはプロセスもつまらないのだと思います。話が飛びますが、グレゴリー・ベイトソンという人が、人間は差異と変化しか知覚できないと言っています。俗な例では、ラーメン店の老舗のおやじがある日言うには、毎日行列をつくるためにはラーメンの味も毎日変えなければならないと。何か自分たちで発見を続けない限りは非常に退屈なものができていく。「Less is bore」と言った人がいましたが、「Less is more」といった人の後を追いかけたからboreなのであることを同時に意味していた。
成瀬
お二人の話を聞いていると、建物のつくり方がジャズみたいだと感じました。その時々に入ってくる自分では予想だにしない相手からのボールを、自分の音楽にうまく組み込んで新しいものをつくっていく。
田根
小沢征爾さんの舞台の仕事をしたことがあるのですが、本当にすごかったです。彼が振った瞬間に音楽がどんどん変わっていく。図面を緻密に描くような建築家の仕事は、ある種作曲家に似ています。けれども一度現場に入ったら、指揮者が楽譜を音楽に変えるように、建築家もすべての関わる人のエネルギーを引き出していかないと図面が建築になっていかない。そういう意味では作曲家と指揮者の両方をカバーしないと建築家の仕事は成り立たないなと、小沢征爾さんを見た時に強烈に感じました。だから現場でけっこう変えますよね。自分の頭で想像しきれていないことがあったときに、現場を見たからこそもっとよくなるという欲求があります。建築も生物だから、つくりながら現場でどんどん良くなっていく。それがあれだけ大きなものをつくる魅力じゃないかなと思います。
髙橋
ジャム・セッションというか、そういうことが建築でやれないかと思っています。即興のような、咄嗟の判断で生まれたものが強いものになる、ということが起こるといいなと。
大島
内容の濃いレクチャーをありがとうございました。成瀬さんがおっしゃったように、良い意味でジャズように即興的なお話しだったかと思います。Aプロジェクトでは、今後も積極的に建築文化に対して発信していきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
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