<煖エさんプレゼンテーション>

都市の文脈と交流する建築
煖エ
いままでの建築よりももっと建築に物語性を持たせるというか、都市や歴史という文脈と交流できるような建築をつくりたいと思っています。建築家の表現を、どう脈絡あるものとすることができるか。言い換えれば、建築が自然につくられることだと思います。建築をつくる動機があり、その動機にふさわしい建築形態になっているか。つまり、建築の機会に関わるあらゆるものを設計のマテリアルと捉えて、そうした状況に対する応答が表現の根幹になる、ということです。これは、モダニズム以降のことを考えることも視野に入れて、これから建築を設計するにあたり日本でやることが建築という文化に対してどういう個性につながるか、という自分自身の最近の興味から湧いて出て来ていることです。
それから、いくら建築を言葉や概念で考えていても実際にできあがるもののほうが正直で、できあがった建築は建築家が死んだ後もしゃべりつづけます。だから建築をひとつの言語体系と捉え、考えをダイレクトに落とし込めているかいつもスタディしています。建築がメッセージを発するというのでしょうか。さまざまな状況の影響もあるので、精度がなかなか伴い場合も多いですが、スタディでは模型をたくさんつくって、その模型だけで概念がわかるかどうか、気を配りながら決定をおこなうようにしています。
七ヶ浜町立遠山保育所
 
仙台市街地から車で45分ほど離れた七ヶ浜町で復興の一環でおこなわれたコンペを通じて実現した保育所です。1,000平米の規模で設計期間は3-4ヶ月というとても短いスケジュールでした。七ヶ浜町長が、東北でいち早く復興建築を建てることに熱心でした。仮設ではなくパーマネントな建築として一番早く建てることにこだわっていました。
建築の動機としては「被災してしまったので保育園を再建したい」というものでしたが、計画地は仙台の郊外にある町のさらに郊外のようなエリアにあたり、しかも海のある七ヶ浜町のローカルな感じともちょっと違う雰囲気の場所だったので、50-100年後まで保育園として使われ続けるとは必ずしも考えにくかったんです。であればもう少し建築の用途を制限せずに、子供用の公園のような建築のほうがいいのではないかとか、もしかしたら老人ホームになるかもしれないとか、考えました。保育園というと木造とか暖かい感じとか、固定観念ずくめで建築がつくられがちですが、そういう意味で、保育園だけど保育園以外にも使えそうな建築でありながら、同時に、いまつくることの意味を建築の個性としてどうしたら備えることができるかを考えていました。それから、被災地で短い期間で建築家が町の意見を取りまとめて建築をつくるということが、想像しづらかった。そこでまず普遍的な部分として、とても広い中庭をつくりました。環状の部分は背を低くして、敷地の周辺にある緑が囲まれている庭からも良く見えるようにしました。そういう広い庭があれば保育園にも見えるし老人ホームにも使えます。みんなとりあえず喜んでくれるだろうと思ったので、とにかく広い庭があって、その周りの配置は町の人の意向にも依存するという仕組みを、コンペの段階で提案しました。庭の周りの場所について、町の方々と議論しながらどういう場所が必要かを考えていきました。天井の高いホールは保育園以外でも使え、ラウンジは運動会や町の盆踊り大会のようなイベントでも使えます。設計期間中は、提案側とそれを受け入れる運営者との議論の間で、密接で長いディスカッションがおこなわれますが、それもままならないほどの短い時間で、町の人々の要望をすべて受け入れて、なかば仮設的なやり方でつくっても、計画のコンセプトがつくる側として崩れないような方法を考えていました。そういうことを整理して書いたのがこのダイアグラムです。議論を進めていくと、休憩所がほしいとか、給食室は外側に出したいとか、いろいろな要望があってボコボコと形が変わっていきました言われた通りにやるところと、絶対に変わらない四角い庭とを共存させることで、なんとか建築にしていこうという戦略的な意図もありました。
こういうプレゼンテーションをすると、すごく優しい建築家だと思う人もいるし、逆に深読みする人は被災地でここまでやるかという人もいます。つまり、町の人の意見を全部吸収して、むしろ吸収した結果面白い建築をつくるという、ある種のものづくり上の自由を獲得しているのです。自分としては、その戦略がなければ設計途中に破綻しただろうと思っています。この保育園は地域に優しい保育園である以上に、コンペを経て、建築家がつくった建築でなければいけないということも求められていたからです。この保育所には20人を超える保育士や調理士の方が働いていて、みな意見が同じ訳ではありません。今でも二ヶ月に一回くらい通っていますが、毎回新しい使い方がされているのを見つけ、とても興味深いです。

《七ヶ浜町立遠山保育所》
© TAKAHASHI IPPEI OFFICE

《七ヶ浜町立遠山保育所》
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《七ヶ浜町立遠山保育所》平面図
© TAKAHASHI IPPEI OFFICE

《七ヶ浜町立遠山保育所》コンセプト・ドローイング
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四面接道
 
次に紹介するプロジェクトは、『JA82』に掲載された、2011年以降のあたらしい都市計画を50人の建築家が提案する、という企画に参加したときにつくったものです。《四面接道》というタイトルがついています。提案したことは、全部の敷地が道路に面している町を、ゼロからではなくて今の日本の都市を改造してつくる、ということです。家と家の間には必ずすき間があるのが日本の特徴なので、すき間に人が通れるくらいの道を通して行きます。家同士が塀で仕切られることなく、細い道で細かく分けられていくと、街区ブロックとストリートという形式が少しずつ崩れていきます。最終的にこのように街区ブロックを粉砕すると非常に自由な経路が生まれて、一つ一つの建物を全周から見て回ることもできるので、たとえば家の裏に給湯器がむき出しになっていてトイレの窓が小さく開いているだけ、という住宅の表の顔と裏の顔の差が縮んで、みな正直な建ちふるまいになっていくのではないかとか、家の外側がパブリックな性質になるので、室内側にプライベートなものが集められたり、プライベートな中庭がつくる人が増えていくと思います。こういうことをすると、それぞれの建物が少しずつ都市的な存在になってゆき、私有財産というよりは地球全体の財産に見えてくるようなものになるのではないかと。都市のフィジカルなコミュニケーションも自然に生まれるのではないかと考えてつくりました。このプロジェクトを踏まえて、建築家の藤野高志さんと東北大の小野田泰明先生と一緒に、ある住宅街のマスタープランを実践中です。

《四面接道》
© TAKAHASHI IPPEI OFFICE
Casa O
 
これは東京都内の住宅です。木造密集地の奥の奥に建っています。今まで毎日働いてきて社会や他人と接点が多かったクライアントが、リタイアした後に山籠りするようにして、なおかつ便利な都市に住みたいという要望でした。ここでは、木造密集地を原生林とみたてて、都心のなかに別荘をつくるように考えました。隣の家の隙間から覗かなければ建築の外観が見えないという、珍しいプロジェクトです。森の中の別荘が、森の環境をそのまま別荘に取り込むような建築のつくりかたをするように、ここでは都市環境をそのまま住環境にするということをやっています。まわりがみな閉じているので、逆になるべく開放的につくろうとしていています。窓をたくさん空けています。築50年くらいの住宅が集まる街区ですが、周囲の建物は全部同時代の量産型住宅だったので、どの家も北側に窓を持っていませんでした。そのため南側に大きく窓を開けると、隣の家の背中だけが見えるだけでプライバシーは守られる。すると周りの家が森のように見えてくる。今まで都市住宅というと中庭をつくって外部環境から絶縁し、なんとか自分の世界観をつくりあげようとしてきたように思います。近代の住宅建築は、街というリアリティから目を背けてフィクションばかりを見つめていました。夢や幻想をヨーロッパ風の中庭や真っ白なインテリアの嗜好を取り入れてつくるのではなく、部屋から見えるものは全部リアリズムで、街の中でどれだけ快適性を獲得できるかにチャレンジしたプロジェクトです。僕らは今まで、街の表側ばかりをみてきました。ファサードとか外観とか立派な門構えのようなものです。これもある種のフィクション、もしくは虚飾ですよね。街や建物も実際は裏側や背中のほうにリアリティがあるわけで、そのリアリティを直視して取り出していくと、僕らはいままでそういうものをリアリティとして見てこなかったから、逆にそうしたものがフィクション(非日常)のようなものとして感じられる、という逆説みたいなことを考えました。 クライアントの要望は東京の真ん中に別荘をつくって欲しいということだったので、これで良かったのだと思っています。いろいろな建築家の方に見ていただく機会があって、「いきなり都内の中に地中海があらわれた」という方もいました。その地中海とは、中庭に素焼きのタイルをはったディズニーランド的な地中海風の住宅ではなく、東京の街なんだけど地中海の集落にいる時のような、非日常的な感じということで、それを東京の街を使いながら実現させていくことがが大事なところだと考えました。

《Casa O》
© TAKAHASHI IPPEI OFFICE

《Casa O》
© TAKAHASHI IPPEI OFFICE

《Casa O》
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JR吉備線新LRT駅計画案
 
新しい駅をつくるプロジェクトです。JRのローカル線をLRT(路面電車)に置き換える事業の一環でコンペがおこなわれ選んで頂きました。今のローカル線は2両くらいの小さなものですが、一般的に線路が町を分断するということが起きます。これを路面電車に変えると、レールの上を自由に歩くことが可能になるので、ヨーロッパのトラムの場合と同様に、街の広場の中央にLRTの停留所をつくることができます。線路を境にしていた北口と南口がつながって、既存の駅に群がった街の中心が、駅の替わりに広場になって、そこが駅になるという提案です。広場を介して街の北側と南側を自由に行き来できるようになります。この地方はいわゆる田舎の街ですが、こういう場所に駅ができると、村や自然環境が壊れてしまいそうなくらいにしっかりとした駅舎ができることがよくあるので、そうではない駅をつくりたいと考えました。具体的にはこの絵のように、大木を岡山の山から集めて、下枝払いをして、いわゆるピロティ建築のようなものをつくり、茂みの下が路面電車の駅になります。託児所や商店や待合室のような実際の建築は木のヴォリュームの中に隠して、人が中に入って見上げると、たまに建築が見えるというものです。印象としては、街の中にとつぜん森があらわれて、なぜか人は電車の時刻になるとひたすら森の方向へみな歩いて行く。初めて街を訪れる人からすると、なんだろうなという感じで、電車がやってきてああそういうことか納得する。つまり、駅の建築だとはっきりわからない環境だけがあって、駅の気配だけがする建築です。少し大げさですが、この場所に来ないとわからない古くから伝わる慣しのような地域独特の奥行感をつくることで、街をもう少し歴史的なものにできないか。そういう日常の風景がつくれないかと考えています。

《JR吉備線新LRT駅計画案》立面図
© TAKAHASHI IPPEI OFFICE

《JR吉備線新LRT駅計画案》断面図
© TAKAHASHI IPPEI OFFICE

《JR吉備線新LRT駅計画案》模型
© TAKAHASHI IPPEI OFFICE

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